シニアの男性は65歳以降をどのような人生にするかで余生の楽しみ方が変わる。経済的な制約はあるかもしれないが、自分の時間を自由に使える身分になる。もう一度、大学に戻って別の学問を学びたいと思えば「学びの道」に入れる。定年退職と同時に離婚をしてしまったシニアは、「新しい人生のパートナーを捜す道」もある。65歳からはキャリアパスがなくなる。終活の道を自分で作っていく必要がある。
残りの人生は命が終わるまで続くが、与えられた時間を満足が行くように使いたいと願っている。羅針盤があれば良いが、誰もそれを教えてくれない。最後は全て自分で決めて行動するしかない。今の体が言うことを聞かなくなったら人生の終りが近づいていると思うべきである。
肉体があるから魂が宿れる。老化で肉体が老いれば、この世界での活動も制限される。自分の意志で自由な活動が出来なくなる前までにやりたい事はやっておきたい。65歳を過ぎて何もやることが見つからないと嘆くシニアはメモ帳に夢を描いてみることである。
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65歳を過ぎる頃、後の10年をどの様に過ごせば良いかを考える。年金を受給すると必死になって働く必要が無くなる。フルタイムの仕事からパートタイム、アルバイトの仕事に変えるシニアからNPO団体で仕事をするシニアまで色々。
人生の目標や生き甲斐がないシニアならば、老後の生活を充実させる過ごし方を見つける必要がある。私たち人間は、尻を叩かれないと腰を上げて歩きださない。誰もが生きている時間を失っている。後、どれだけ生きられるか誰も分からない。分からないから死ぬのを待っている。
残りの人生を受け身で待つのか、積極的に開拓して時間を有効に使うのかで自分の人生の見方が変わる。私は責の人生を歩みたい。他界するまで目標を決めてそれに向かって行く。目標があると精神的に安定する。生活も生き生きしてくる。
目的のない生き方はつまらない。動けるまで動いて自分の生命を全うしたい。それが生きている人間に与えられた神からのギフトではないかと思っている。
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NPO団体のグループ定例会に参加したときに感じた事が有る。平均年齢72歳のNPO団体のメンバーは、何を求めてこのNPO団体に参画してくるのだろうか。220名以上のメンバー全員がアクティブにNPO団体の活動に参加していないが、一部のメンバーはこの団体の活動を生き甲斐にしている。
当時62歳の私は、他のメンバーから「若いねぇ~!」と言われるぐらいだ。60歳代の私と70歳代のメンバーでは、見た目も体の動きも相当違いがある。
だが、この団体での活動を生き甲斐にしている70歳代の人たちは、どう見ても現役の会社員のようだ。見ていて羨ましい。私は、本業があるのでNPO団体の活動には深く入れない。定例会に参加して自分で取れない社会の情報を得ているくらいだ。
70歳を過ぎたらどこに自分の居場所を置くか、NPO団体を探して顔を出して違った世界を味わうのも手である。
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私たち人間は、年齢によってストレス耐久力が変わるのではないかと思う時がある。カフェで仕事をしている時、赤ちゃんや幼児が大声で騒ぎだすと耐えられなくなる。若い頃は我慢する許容力がまだあった。今はイヤホンで耳を塞いで音楽を聴いている。
ストレスは必要不可欠な生活要素であるが、精神的に不安定になる領域がある。何かに集中したい時の邪魔されるような音や騒ぎは普通以上にストレスを生む。当然、個人差はある。
我慢できない音量、継続時間、繰り返しで冷静なマインドが狂いだす。シニアは年齢とともに環境への適応能力が衰えてくるのではないか。ストレス耐久力もそれに影響されていると私は思っている。電車の中でシニア同士が大声で怒鳴り合っている。原因は鼻を出してマスクをしているから鼻をマスクでかぶせろということだった。
私だったら、見て見ぬ振りをする。余計なお節介をしたくない。困るのは鼻を出している当事者だからだ。注意したシニアはコロナ感染に過敏になりすぎた方なのだろう。状況を深く考えないで余計なお節介をしてしまったと私は思っている。
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スタバのカフェの中でシニア二人が仕事について話をしていた。その二人の姿を見ながら聞こえてくる話を理解した。断片的だが、どうも不動産業界の人たちらしい。年齢的に70歳近いシニアだ。働いているシニアは、自分の専門分野を持っている。体が動く限り、働き続けるという姿勢が見えた。私も体が動く限り働き続けるつもりだ。
NPO団体で輝いているシニアは、自分の専門分野で動き回っている。何か尖っている知識やスキルが有るシニアは、その技量を使える場所さえ見つければ輝き始める。70歳を過ぎたから引退したいなんて言っているシニアは考え直したほうが良い。人間の魅力は、アクティブに動き回っている人に集まる。
若い人たちも活動的に働いている専門家をお手本にする。私が70歳過ぎのシニアを見る時にその人が何に没頭しているかを見る。第二、第三の人生キャリアだ。若者も私も年寄りだから暇を余している人に魅力を感じないだろう。時間を無駄にしているからだ。その無駄になった時間を何か社会にプラスになるような使い方をしているシニアだったら嬉しい。
目的もなく街中を回遊する老人たちを横浜で多く見かける。そんな老人たちを見つけるたびに「自分の老後はそうなってはいけない!」と戒めている。
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<2021年を振り返る>
長年抱えていた腰痛はAKA療法の治療でなくなった。ぎっくり腰も起きなくなった。筋トレも腰痛を気にしながら行う気遣いもなくなった。ゴールドジムに入会して1年が過ぎ、その効果が体格に出てきた。懸垂も標準で10回続けてできる。スクワット運動で太ももとヒップの贅肉が少なくなった。健康面で良い事が起きた2021年である。
<2016年を振り返る>
一番残念であった出来事は、2016年6月に予定していた家内の両親と一緒に行く長野旅行であった。父親が90歳に成ったお祝い旅行である。家内の兄夫婦と私達、そして、両親の6名で長野にある温泉ホテルに2泊3日の旅行である。
私は、前日、突然、予期しなかったぎっくり腰になったのである。そのため、私だけ自宅で留守番となった。楽しみにしていた親族旅行が私だけ台無しになってしまった。
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自分が知る祖先は、祖父祖母、両親の2世代ぐらいだ。祖先のお墓は田舎の実家にある。今年も年1回の墓参りに行く。墓石が田舎の実家近くのお寺にあるから横浜から墓参りに行くことになる。分家の私は、私独自のお墓を持つ必要がある。私のお墓をどこに設置するかで子供たちの墓参り先が決まる。
お墓の継承者がいる場合は、墓石のお墓が良いという。経済的に難しい場合は、永大供養墓という選択がある。私たちの子供たちの感覚からして墓参りという感覚があるだろうか。時代は、永大供養で人気な手元供養に向かっているように感じる。実家を離れて分家した人は自分の墓をどうするかを考えねばならない。
墓参りに行くという習慣が変わりつつある。
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最近のコンビニでは下着が売られている。私のコンビニのイメージは、飲食類、お菓子、文房具が買えるお店という感じであった。今では、生活で必要な物はほとんど買える品そろえだ。男性、女性用の下着などは、1000円以内で買える。女性用ショーツは、700円台。男性用パンツは、900円台。私も緊急時の旅先で買った事がある。
ただ、販売されている下着は、シニア向けではなく若者向け。種類とサイズが限定されている。
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63歳の私は、自宅から最寄りの駅まで17分ほどかけて歩いて行く。その途中に数えれば10個余りの下水道のマンホール蓋がある。鉄でできているので晴れた日はその上を歩いても滑らないのだが、これが雨の日であるとマンホールの上で滑ることが多い。足の置き方にもよるが、踵からマンホールの上に落として歩くと確実に滑って転ぶ。
歩道が無い道路沿いに下水道のマンホール蓋がある。ちょうど、道を歩くルートの真ん中にあるため意識して避ける事をしないとマンホールの上に足を下ろして歩いてしまう。鉄のふたは雨の日に滑り易い。
老人は、滑った時にバランスを崩しやすい。足の力が弱いので体制を維持する踏ん張りが出来ない。100%転倒してケガをする。
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