80歳になった時に弱々しい姿と歩き方になるのだろうか?

横浜でランチを食べた後、街中をそごう横浜に向かって歩いていた。目の前に一人の老人女性が歩いていた。年齢的に80歳を越えている感じだった。歩き方が弱々しい。体も小柄でヨロヨロとゆっくり歩いている。間違って近くを通って体に触れないように歩くペースを落として遠回しで追い越した。

私も80歳を越えたら、体が枯れ始め足腰も弱くなるのだろうか?

NPO団体にいる80歳を越えた老人たちの中で力強い歩き方をしているシニア男性が見当たらない。都会の老人は、田舎の老人よりも体を活発に動かしていないからだろうか。ただ、私が元気な80歳以上の老人に出会っていないためなのだろうか。

街中を歩いている老人たちを見るたびに他山の石で自分を戒めている。私が80歳になった時は、筋肉隆々でしっかりした足取りで街中を歩きたい。 

80歳になった自分をイメージする

毎週2回やっているスポーツジムでの筋トレを80歳までやり続ければ、筋肉隆々の体格を維持でいると信じている。80歳になる前に大病にならなければ、この目標を達成できると思っている。上半身は、ベンチプレスをやり続ければ厚い胸の筋肉を維持できる。下半身は、スクワット運動だろう。

80歳になった時の体は、身動きが快適に出来る動力源の足腰が基本だ。

多分、筋トレだけでは不十分だ。毎日、体を動かし続ける必要がある。何かの目的に向かって活動し続けることで体は自然と動き回る。それが、私にとって「仕事」になる。生涯現役を貫き通せば、体は常に動き回っている。

自宅から最寄りの駅まで山を下りて行く。1.7キロの道だ。駅の階段を一段飛びで上がる。背中に背負った10キロのリュックを体全体を鍛えるための負荷として受け入れている。出来るだけ大股で歩く事を意識する。自然に歩く速度が速くなる。こんな生活を80歳まで続けられれば、足腰は毎日鍛えられるはずだ。

老人になればなるほど足腰中心に筋肉を鍛える事が必須になる。足腰が立たなくなる=介護の世話に成る、家族に負担が行く。 自分の世話は自分で出来るようにすることで余計な負担を家族にかけなくなる。

老いて来るうちに生きる目的を見失い始めるかもしれない。最愛の伴侶や家族を失えば、そのショックで老後の生活が狂い始める。今夫婦で生活をしている老人たちは、私を含めて、自分の生き甲斐を見失わないようにしなければ成らない。困るのは私の生き甲斐が最愛の伴侶である場合だ。

老いるたびにお金の価値が無くなり、ほしい物もいらなくなる。若い頃のように友達と遊び回れるわけでもない。知人、友達は皆老いて自分の足で歩けない。老人ホームで車椅子の生活をしている人が多いだろう。自分だけが元気で普通の人と同じ体力を維持できていると同世代の人たちの生活から外れ始める。

一人で長生きをしている自分の姿を想像する。

長生きが本当に幸せをもたらすかどうかは疑問である。他界するタイミングは、自分で選べない。運命に任せるしかない。その時が来るまで何かに打ち込んでいたいというのが本音だ。それが生き甲斐の一つであれば嬉しい。

シニアが出来る事は、日々の生活を追いながら悔いのない生活を送るしかない。やりたい事、食べたい物、行きたい場所、感じたい事など自分の心の中の欲求を満たす事を先に延ばさない

自分の欲求を書き出してみると面白い。実現できる物と出来ない物が当然出てくる。実現できる物から実現して行く。実現する度に何らかの喜びを感じるはずだ。お金で実現できる物もあるし、出来ない物もある。私の筋肉隆々の体力はお金では買えない。80歳まで継続的に筋トレをやり続ける必要がある。

80歳になった時の自分をイメージしてみると目指す人生の過ごし方が発見できるかも!

この記事「80歳になった時に弱々しい姿と歩き方になるのだろうか?」のポイントは、

  • 目の前に一人の老人女性が歩いていた。年齢的に80歳を越えている感じだった。歩き方が弱々しい。体も小柄でヨロヨロとゆっくり歩いている
  • 私も80歳を越えたら、体が枯れ始め足腰も弱くなるのだろうか?
  • 80歳になった時の体は、身動きが快適に出来る動力源の足腰が基本だ。

 

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