60歳を過ぎる頃に体の不調を感じることがある。その原因がわからない。しばらくすると無かったかのように不調が消えていく。体が老化で変化してきているのだろう。体の不調は老化の表れではないかと思うことがしばしばある。体は賢くできている。体調不良を自然に治してしまう。ある意味では、老化現象を自分で調整してしまうのだ。

ただ、体が自然治癒で体の不調を治しても体の衰えは抑えら切れない。年齢とともに体力と筋力は落ちていく。老化がなす技である。老化は防げないが、体力と筋力は運動習慣を身につけることで改善ができることが証明されている。昨日のテレビニュースでスポーツジムが再開されたことを報道していた。83歳のシニアがベンチプレスをしていた映像とインタビューがあった。体格が83歳に見えなかった。

筋トレを長年やっていた体格である。体の筋肉は年齢に関係なく鍛え続ければ増えていく。当然、筋肉の増加と体力の向上は伴う。何も運動をしないで体を動かさない生活を送ると体はどんどん衰えていく。この2つの事実はシニアに何を訴えているのか。

new challenge

老後の生活で家族に迷惑をかけないようにしたいと思っているシニアは多い。そのために老人ホームに入居するための貯蓄をしている。経済的に難しいシニアはどうしたら良いのだろうかとふと思う。年金だけでは生活が出来ないシニアは老人ホームに入居したくても出来ない。

90歳になったときに幸せを感じる人は、こんな人だと週刊ポストに書いてあった。普通の生活が出来る健康な90歳。一人で、夫婦で健康な体を維持しながら普通の生活が楽しめれば、家族や第三者に迷惑をかけない老後の生活を送れる。 

多くの老人は、老後の資金に目が行きがちである。介護施設に入るには、このぐらいのお金が必要とか。医療費をカバーする医療保険とか、まだ起きてもいないことに目が行く。 

本来ならば、健康寿命を伸ばすことに注力すべきである。健康で普通の生活が維持できていれば、老人ホームや介護施設に入居するための老後の資金をたくさん貯める必要はない。

昨日は、風もなく快晴であった。それで夫婦で舞岡公園にドライブした。いつものように公園でランチと3時のおやつタイムを持った。お弁当は、近くのサミットストアでドリンクと一緒に買って持って行く。舞岡公園は、意外に広い公園であった。公園を歩きながら景色の良い場所を探し、近くのベンチに座って景色を眺める。自然とお喋りが始まる。

会話が途切れても周りの風景と青い空をを見ているだけで気持ちがすっきりする。聞こえる音は自然の音。小鳥の声が透き通るように響いている。私たち夫婦は、週末のいづれかの日に近くの公園にドライブする。ランチを公園で取る時か、おやつを食べる時かのどちらかのタイミングで公園に行く。妻は、専業主婦であるので自宅にいる場合が多い。どうしても運動不足がちになる。

公園は、楽しみながら歩く場所。ただ、歩くだけでは面白くないのでお弁当やおやつを持っていって自然の中で空いたお腹を満たす。私たち夫婦にとって週末の公園歩きは日常のコミュニケーションで伝わっていない「情報交換の場」でもある。

夫婦二人で公園を散策するのはお金がかからない。仕事に追われない老後の時間は好きなときに好きな場所でゆっくりとした時間の流れを楽しめる。それが一人ではなく、最愛の妻と一緒ならばなおさら良い。

60歳から70歳までは、体力と気力の面でそれほど衰えがない人が多い。気力や情熱があれば、体はそれに付いて行ける。

人生の中で60歳から70歳までの10年間が本当にやりたい仕事を楽しめる最後の時間だろう。70歳を越えると体力や健康状態で問題が発生しやすいので自営業者でも引退を考え始める。その意味合いで60歳から70歳までの10年間は、やりたい仕事をやって仕事を楽しむ事に時間と労力を投資する。

やりたい仕事をやると言ってもやりたい仕事が分からないというシニアは、今までに経験したことがない仕事に挑戦してみる事だ。

自分が生活する世界は絶え間なく変化している。定年退職もその一部だ。永遠に同じ会社で同じ仕事をしていることはない。変化は絶えず自分の周りで起きている。定年退職は一つの人生の節目。今までの自分の殻を打ち破る機会が提供される。今までの殻を破るには、苦痛と前向きな努力が要求される。経験したことがない世界に一歩足を入れないと駄目だ。

新しい自分を作り直すには、新しい環境に自分を置いてもがき苦しむプロセスが必要である。重要なのは、もがく事を止めないこと。ビジネスの世界で言われている事でこんな言葉がある。「諦めた時点で失敗が確定する!諦めなければ、失敗していない。」

新しい人生で失敗を恐れてはいけない。過去を振り返れば、失敗の連続ではなかったのではないか。今更、新しいことで失敗しても怖がることはない。失敗はその行為を諦めた時に確定するから。

会社の後輩や同僚が次々と退職して行っている。ある知人はリストラをされて、別の知人は65歳の定年退職で。彼らは、まだ、会社で働きたいと願っていたのだが、会社都合でや年齢でお役目ご苦労様となってしまった。

60歳が節目になって第二の人生を事前に考えているシニアはその計画を迷いなく実行すれば良い。会社員生活が長いと会社にぶら下がった人生が楽で仕方が無くなる。出来るだけ長くぶら下がって給与をもらいたいと考える人が多い。60歳はまだ若い。再就職先を探せば、または、現在の会社に居残って働けば取り合えずぶら下がった生活が続く。

65歳になると60歳の時とは違った年齢という大きな壁が前面に出てくる。会社は、65歳の人よりも60歳の人を雇用する。再就職は99%難しくなる。会社にぶら下がった生活を考え直す年齢だ

会社を卒業したシニアが一番喪失感を味わうのは、自分が誰であるかを表す名刺が無くなる事だ!今までの生活は○○○会社の誰々さんという顔があった。その顔が無くなった自分にショックを受ける。

60歳で定年退職をしたシニアには、元の会社で再雇用されるか、転職するか、起業するか、引退するかの選択が与えられる。多くの社員は、再雇用を選択する。再雇用で65歳まで引き下げられた給与で働くことになる。取り敢えず、65歳までは会社がシニアの面倒を見てくれる。

問題は、65歳で会社を卒業した後だ。次の仕事を探さねばならない。65歳はまだ引退するのには早い年齢。何とか年次契約社員として他社で働きたいと仕事を探すのだが、65歳以上のシニアを採用募集している会社が非常に少ない。65歳になると雇用面で冷たい風が60歳の時以上に吹き始める。

65歳を迎えたシニアの現実は65歳以上のシニアでしか分からない。

仕事をしていない老人、シニアが大勢いる。健康障害もなく元気な高齢者たちだ。ただ単に仕事がないから、または、もう働きたくないからという理由が多い。こんな老人たちは、暇な時間を無駄にしている場合が大半だ。私を含めて年齢が60歳以上になると何か新しい事を積極的にやろうという気が起きない。新しい事を学ぶのが面倒になる。出来るならば、今までの経験を活かすことで何かをやれれば良いと思っている。

暇で元気な老人が仕事をしないで時間を浪費する生活に入ってしまうと社会とつながって何かをやるという機会と気持ちが生まれてこなくなる。人間は、楽な方に楽な方に自然と導かれるからだ。暇をつぶす(Kill time)という言葉がある。時間は、「命」という価値を持つ。貴重な命という時間を無駄に使うのは、もったいない。

自分に与えられた時間という命をもっと満足行くように使えないか考えてみたい。

定年退職後に待ち構えたように起業をする60歳シニアがいると思えば、65歳の雇止で起業を選択するシニアもいる。起業は勇気がいる。前者でも後者でも勇気を持って起業に挑戦するシニアは称賛に値する。多くのシニアはリスクが多い起業を怖がる。

起業は子供の頃に初めて自転車に乗ろうとするときと同じである。最初は、勇気がいるし、怖い。これは確かであるが、勇気を出して第一歩を踏み出すと案外怖いものでないことに気がつく。当然、何度も落とし穴にハマって怖い思いをする。失敗して痛い目にもある。

でも、それって人生そのものである。起業の先輩として60歳、65歳から自分のビジネスを始めるシニアに有益な助言をしたい。私の経験から来る助言である。

私の元同僚(ソニーを卒業した社員)の殆どが起業している。ソニーの社風として俺が、俺がのでしゃばり精神がそのまま老後の生活にでているのかもしれない。言い出しっぺが責任持ってやる!これが以前のソニーの社風であった。私の年代の元ソニー社員は、井深さんや盛田さんが健在であった時代の社員だ。

盛田さんのこんな言葉を覚えている。

「会社は君たちを利用する。君たちは会社を利用してほしい。もし、会社を利用できないならば入社することを止めてほしい!」こんな言葉であった。

シニアになってからの起業は、若者以上にリスクを感じやすい。長年の会社勤めで温室育ちになっているからだ。現実は、年令に関係なく起業してやりたい事をやりたいという情熱があれば、世の中はチャンスを作ってくれる。

後ろ姿から老人の歩き方をすぐに見分けられる。老人の歩行能力からその人の筋力の強さが分かる。歩行能力は、体全体の筋力に結び付いているからだ。一般的に言われることは、歩いているときに他の人にどんどん抜かれていってしまう人は、体の筋力弱体化で老化が進んでいる人である

体全体の筋力が衰えてくると足の歩幅に出てくる。歩幅が狭くなり、普通に歩いていても速度が出ない。歩行は、体全体の筋力をバランス良く使って行われる。足の筋力が大丈夫でもバランスが取れなければ歩けない。

街中を歩いている高齢者の後ろ姿を観察してほしい。トボトボと前かがみに歩いている老人を多く見かけるはずだ。なぜ、そうなるかを考えて見る必要がある。10年後の自分の姿がそうならないために今から対策を取る必要がある。

新聞の声のコラムやインターネットニュース記事などに年金が少ないので生活苦を抱えて生きるのが嫌になった。そんな内容の記事があった。人はそれぞれの事情で老後の生活に困ることがある。その一つが、年金額が少ないために生活が成り立たないことである。

私は、老後の生活で年金額で幸せがどうのこうのと考えるのは短絡的であると思っている。年金の額が多くても、不幸せな老後を過ごす人が多い。残りの人生をどのように過ごしても最終到着駅は誰も一緒になる。お金が有る、無い、多い、少ないで何も変わらない。

お金を使って楽しい時間を過ごせる老人は幸せである。その前提条件は普通の生活が出来る健康な体である。健康障害を抱えた老人はお金を使っても楽しめない。お金で健康が買えないからだ。元公務員は手厚い年金が支給されるから幸せだなんて言っている老人は現実を知らない。世の中は年金で回っていない。ひがみに私は聞こえる。

年金額が少ない人は、事前にそれを知っている。知っているならば、年金以外の収入で補う準備をすれば問題を回避できる。それが出来ていなくて文句を言っている老人たちは、考えものである。事情でそれも出来ない人たちもいるだろうが、原則、自分の人生は自分で何とかするしかない。

人生は不思議である。貧乏な人でも幸せな人生を送っているからだ。大金持ちでも惨めな人生を送る人が多い。自分の人生は自分の状況をどう感じてどうしているかで決まる。

電車の中で若い女性がスマホを使っていた。そのスマホの画面がどうしても私が立っている方向にあるので目に入ってしまう。細身でロングヘア、クリーム色のジャケットとスカート姿であった。スマホの画面は、アマゾンのサイトであった。何やら探しているものがあるらしい。指で素早く商品を探していた。

彼女が探していた商品は、女性の下着。ブラではなく、ショーツだった。普通のショーツではなく、上品で高級感があり、勝負ショーツのようだった。

男性にとって女性のショーツは、好奇心の対象。覗き見をしているのではないが、どうしても目に入ってしまう位置に立っていたから仕方がない。画面に見えていた下着は普段着のショーツではなかったので目がどうしてもスマホの画面に行ってしまった。

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このページのシニアライター:Norito H.Yoshida

Profile

雇用される生活から自分を雇用する生活をしている。2023年現在で17年間、起業中。時間と場所に制約されないインターネットビジネスで生活費を稼いで自分独自のライフスタイルを作る。米国の州立大学 Western Washington University, B.S. in Sociology, Bellingham, Washington, USA を卒業してソニー株式会社、Yahoo!Japanで自分がやりたい事をやってきた。

最終的には、私が望んでいた起業(自分の手で稼ぐ生活)が実現。51歳の時に起業してこれからも生涯現役でインターネットビジネスの世界で生きて行く。今の時代は65歳を過ぎると自分を雇用して生きて行く道しか残されていない。本来、その道が当たり前なのだが、人間は弱いので他人に頼る生活を求めがちになる。

シニアの生活実態は人様々。私が発信するシニアの生活体験記が参考になれば幸い。シニアは老後の生活を情報として発信する人が少ない。役に立つ情報は共有すべきであると思う。経験から得た情報は本よりも実用的である。

 

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