65歳を過ぎる頃、後の10年をどの様に過ごせば良いかを考える。年金を受給すると必死になって働く必要が無くなる。フルタイムの仕事からパートタイム、アルバイトの仕事に変えるシニアからNPO団体で仕事をするシニアまで色々。
人生の目標や生き甲斐がないシニアならば、老後の生活を充実させる過ごし方を見つける必要がある。私たち人間は、尻を叩かれないと腰を上げて歩きださない。誰もが生きている時間を失っている。後、どれだけ生きられるか誰も分からない。分からないから死ぬのを待っている。
残りの人生を受け身で待つのか、積極的に開拓して時間を有効に使うのかで自分の人生の見方が変わる。私は責の人生を歩みたい。他界するまで目標を決めてそれに向かって行く。目標があると精神的に安定する。生活も生き生きしてくる。
目的のない生き方はつまらない。動けるまで動いて自分の生命を全うしたい。それが生きている人間に与えられた神からのギフトではないかと思っている。
もし自分の命が後3年しかないならば、どうするか?
体は確実に加齢で衰えていく。私のように週2回筋トレをしていても内臓の機能が劣化して行く。自分の寿命は分からないので生きているうちに出来るだけやれる事、やりたい事をやる。人間は危機感を感じないと何もしない。危機感を感じると、例えば、後3年しか寿命がないという危機感があると、3年間をどの様に過ごしたら満足が行く人生を送れるかを考える。
誰も自分の寿命を予測できないから天命を待つ
1日1日を後悔しないように時間を使うしかないのだが、そんなことをいつも意識して生活は出来ない。今の生活が永遠に続くような錯覚で毎日生活をしている。その錯覚から目覚める時が、「あなたの命はあと3年しかありませんよ!」と言われた時である。
誰もが後3年をどう使おうかと必死になって考える。そして、考えついたプランを実行する。それを3年毎にやって行くと有意義な時間の使い方が出来ると私は思っている。
私の義父や義母は96歳と90歳。義母は老健での生活を送っている。義父は自宅で一人暮らしを昨年初めに止めて介護付き有料老人ホームで生活を始めた。年齢的にいつ神様からお呼びがかかってもおかしくない。義父の楽しみは、朝、昼、晩のお酒である。足が弱まっているので老人ホーム内での移動は歩行器がないと歩けない。
体がくたびれて来ると自分の死期を感じ始めるという。同年代の友人、知人、親せきは自分より先に他界した。残るは彼だけである。幸運なのは伴侶がまだ生きていることである。今年の春には同じ老人ホームでの生活が始まる。夫婦一緒に残りの時間を過ごせる。彼らにとって死は身近のものかもしれない。
幸運にも67歳の私は、両親以外に親しい友人、知人、親戚で亡くなった人がいない。60歳代は、まだ、ピンピンしている年代だからかもしれない。自分の寿命は分からないが、体が元気なうちにやりたい、食べたい、経験したい、見たいと思ったことを実現したい。そのためにお金を稼ぐ。そのために時間を作る。
お金の価値は老いて来るたびに減って行く
シニアの老後で一番お金がかかるのは有料老人ホームにご厄介になるときである。その期間が長ければ長いほどお金がかかる。そのお金がないシニアはどうなるのか。家族がいれば家族の世話になる。家族がいなければ孤独死を待つしか無いのかもしれない。
体が元気なうちはお金を使ってその恩恵を味わえる。問題なのは老いてくれば来るほど買うものが無くなる。私は仕事でパソコンを使っているため、仕事の道具にお金を使うことが多い。お金を稼ぐためのツールであるから。仕事をやめれば、パソコンを使わなくなるので新しいモデルに興味が沸かなくなり、お金を使わなくなる。
お金は使わないとその価値が生まれない。貯蓄しているだけではお金の恩恵を生活する上で味わえない。老後の活動が少なくなると衣食住でお金を使うのが限られる。高齢者が飲食にお金を使う。着る物は住む場所は既に満たされている。
高級レストランで高価な料理を楽しむのだが、老化で味覚機能が衰えて本来の味を楽しめなくなる。義父はお酒が好きなのだが、高価なウイスキーはもう飲まなくなった。その理由は高価なウイスキーの味が識別できなくなったからである。安いウイスキーと同じ味がすると言っている。
お金を使っても老化でその恩恵を感じられなくなる。健康寿命でいられる期間にお金を使うことを考えるべきである。生きているうちにやりたいことがあるならば、それにお金と時間を使う。そして、それを味わう。味わえるときに味わう。体が不自由になってからお金は使えない。
老人ホームでの生活で入居者がお金を使う機会は少ない。老人ホームで生活をしている限り、必要なものはすべて提供される。外出できない不自由な体では老司ホームだけの世界になる。
結論
健康寿命をできるだけ伸ばしてやりたいこと、食べたいもの、行きたい場所でお金を使う。体験を味わえる感覚があるうちに生きたお金と時間を使うことがシニアにとって一番価値がある。残された時間は分からないからこそ今という時間とお金を有効に使う。