パソコンの弊害:漢字が書けなくなる

私がパソコンやコンピュータを触り始めたのは、1976年の夏であった。留学先の州立大学で初めてコンピュータの科目を履修したときだ。キーパンチカードでプログラムを書いてコンピュータで実行するといった古代のコンピュータ環境であった。

1976年から2017年の今までずっとコンピュータから離れる事はなかった。仕事で趣味でコンピュータは身近なものであったからだ。1980年代頃からワープロが日本で出現し、ワープロソフトがパソコンにも登場した。会社の書類作成は、ワープロ化、パソコンソフト化の競争に入り、最終的にパソコンがワープロを食べてしまった。

1988年頃からパソコンが一人一台の時代になり、仕事でパソコンを使う頻度が多くなった。この時点から自筆で文章を書くという機会が減少して行った。パソコンソフトで文章を書くとかな漢字変換で書けないでいた漢字も直ぐに使えるようになった。

パソコンは文字を自筆で書く習慣をなくす!

私は、1988年頃から今までパソコンのかな漢字変換ソフトで文章を書いてきたため漢字を書けなくなってしまった。小学生時代に学んだ漢字も書けない時がある。日本人失格だ。今もブログで文章を書いているのだが、パソコンで書いている。

紙に文章を書く事が1日に1回、2回あれば良い感じだ。ほとんどは、メールやSNSなどでメッセージを伝えてしまう生活になった。パソコンのキーボードさえ快適に打てれば、漢字を書けなくてもかな漢字変換機能で候補の漢字を出してくれる。あとは、どの漢字が正しかを判断して使うだけだ。

技術革新で人間の生活は便利になったが、便利な機器が使えなくなった時、困るのは人間だ。メッセージを紙に書いて誰かに伝えたくても漢字が書けない。ひらがなやカタカナでしか文章が書けなくなってしまう。平安時代に戻ってしまう。

あと10年以内にキーボードでかな漢字変換機能を使って文章を書くことが無くなるだろう。A.I.ロボットに向かって音声メッセージを伝えるだけで良くなるからだ。伝える文章が少しぐらいおかしくてもA.I.ロボットが正しく修正して確認してくれる。

人間は、ますます、文字を書くという習慣から遠ざかる。

社会全体の環境が電子化されると紙に文字を書くという事が少なくなり、電気で動く電子機器なしでは生活が出来なくなる。一時的に社会全体が停電になっただけで社会はパニック状態になるのは目に見えている。

便利な世界は、不便な世界と紙一重だ。漢字で紙に書けるという能力が希少価値を持ち始める。学校教育は便利な電子機器端末を使って行われるのでこれからの子供たちは、私と同じように漢字を紙に書けなくなる危険性がある。10年先の子供教育の話だが。

会社組織で紙に自筆で作文する機会がどれほどあるか調べてみると良い。上司や他社に送付する書類や資料は自筆ではなく、ワープロソフトで書かれた文章だ。紙に印刷する事さえもなくなり、メールに文章ファイルを添付して代用してしまう。

紙に何かを記入する時は、区役所で法的な申請書類に書く時ぐらいかもしれない。自筆を要求する書類しか漢字を自分で書くことが無くなっている。私の頭の中では、うんこ漢字ドリルを買って漢字を学び直すべきだと自分自身が叫んでいる。