69歳の知人がいる。彼はNPO団体で社会貢献ビジネスを仲間と一緒にやっている。毎日やる仕事ではないので暇な時間は山登りやサイクリングをしながら自由気ままな生活をしている。月に1回私も参加する経営サロンという勉強会に参加している。
経営サロンという勉強会では中小企業の起業家に自分のビジネスプレゼンをやっていただき企業OBのメンバーが助言する会である。勉強会が終わると全員で最寄りの居酒屋で懇親会が始まる。参加メンバーは懇親会に心の憩いを求めてやってくる場合が多い。
彼の老後生活で今求めていることは理想的なシニアの老後を送っている人を見つけることだそうだ。そんな人が見つかったら、その人の老後生活を徹底的に真似したいと言い出している。
私は他人のマネをする老後の生活を送るよりも自分の夢や願望を追う老後の生活を作り出したい。会社員のように同僚や動機のライフスタイルを気にする生活はもうたくさんである。他人の生き方に影響されない自分自身が求める生活を老後に送りたい。
自発的に自分の生活を作り出す事に今まで味わえなかった新鮮な体験が生まれてくると思っている。老後の生活は孤独に向かう。一人で何かをやっていないと充実した時間を過ごせなくなる。人生は死ぬために生きる。だから、いつ死んでも良いようにやりたいことをやる。
自分で挑戦しないと分からないシニアライフ
彼の生活には経済的に困らないため生活費を稼ぐというストレスはない。むしろ、自分の時間をもっと充実させる方法に関心を持っている。彼はNPO団体組織の中で有志を募って新しいビジネスを始めた。ビジネスで売上を増やすということよりも仲間と一緒に何かをやるということに生き甲斐を感じている。
他人から見れば羨ましい老後を送っているのに
私から彼のライフスタイルを見れば羨ましいぐらいである。できれば彼と同様な生活を送りたい。彼は他人から自分のライフスタイルをどのように見られているか分からない。羨ましい老後の生活をしている事に気がついていない。
彼が追い求めている理想のシニアライフは既に実生活の中で体験しているのではと私は思っている。足元を見ないで遠くの木ばかりを見ている感じである。そんなシニアが実際に多いのではないだろうか。
自分のライフスタイルを求める生活
私は彼と違って自分のシニアライフを創造するという事に興味を持っている。会社員時代までは社会が典型的な会社員ライフのイメージを示してくれた。それを目標に生きていけば問題がなかった。会社を卒業した人には社会は何も老後の生活イメージを提供しない。自分で好きに老後生活を作って余生を楽しんでくださいという事である。
野に放たれた鳥のように何処へにでも飛んで行けである。会社組織に頼らないで自分の翼を頼りにして大空を楽しめという事である。定年退職後の人にはそれが一番怖い。自分自身に自信がないからである。組織の後ろ盾がない自分に不安を覚えるからだ。
やってみないと分からない現実
初めて子供が自転車に乗ろうとするときと全く同じである。自転車に乗って倒れるのが怖いという心境である。何度も倒れると恐怖心が徐々に消えていき自分をうまくコントロールできるようになる。腰を使ってバランス良く自転車に乗れるようになる。
自分で挑戦しないと何もわからない。理想とするシニアライフを探しても見つからないのではないかと私は思っている。人それぞれ同じような不安の下でシニアライフを楽しもうとしている。誰もが暗中模索の中で自分の老後を楽しもうとしている。
そうであれば、最初から自分がこうありたいと思っているシニアライフを描いてその生活を作り出したほうが面白い。隣の百姓を見ないで我が道を行く老後の生活を目指すべきである。老後の自由時間は白いキャンパスに自分のシニアライフを描くことである。
結論
定年退職後の生活は他人を見ないで自分自身で作り出すことである。他人のライフスタイルを参考にするよりも自分で新しいライフスタイルを作り出すほうが充実した生活になる。自由な時間は白いキャンパスに描く自分の絵のためにある。誰もこうしなさいと言わない。会社勤めの生活習慣は終わり、会社に頼らないで自分に頼る生活になる。
人生の終わりは孤独な死である。誰もが一人でこの世を去って行く。それまでの時間を有効に使う。夢や願望を追い求める生活を始めれば実現しなくてもその過程の生活は充実する。何かに向かって行動を起こす生活に生きがいが生まれる。自分の存在感を追い求める生活の中で見つけられる。