自分の人生の後半を生き始めている64歳のシニアだが、いつも、思うことは二人の子供にプラスになる人生を見せたいと言う事だ。会社生活を終えたシニアは、自分の居所が社会でなくなる。子どもたちが見る父親の姿は、朝早く出勤する姿だ。その姿がなくなった父親をどう思うか。
自分の父親がどのようにして新しい人生を築いて行くかを子どもたちは自分の将来の人生に参考にしようとしている。そう思わなくても自然と父親の姿勢が見えてしまう。父親はいつも子供からお手本として見られている。
会社を離れた父親の姿を子どもたちはどう見ているのか?
会社という羅針盤を失った1人の人間として海図を自分で描いて残りの人生をやり切る姿勢が65歳のシニアに求められる。子どもたちは、自分の父親がこれからどうするのかなあ!と思いながら自宅にいる父親を見ている。65歳はまだ若いと本人も子どもたちも感じている。
それ故、父親はこれから何をするのだろうか?と思っている。
父親がこれからやることは、自分が父親の年齢になった時のお手本になる。そう思っているかもしれない。父親の行動を見れば、何をやり始めているかが分かる。毎日、母親の後を付いて回る生活をしているのか、自宅でブラブラと何をすることもなく時間を潰しているのか、それとも、自分で新しい仕事を見つけようと就活準備をしているのか。
老後に向けて父親が何を成し遂げようとしているのかは、子どもとして興味がある。子供といえども既に社会人に成っている。父親の定年退職後の生活は自分たちが年老いていく過程でどのような準備と心構えをすべきかの参考になる。
父親は、一番身近な人生の先生なのだ。
私は、会社を卒業してインターネットビジネスを営んでいる。自分の手で生活費を稼いでいる。子供は二人いる。二人共社会人になって独立した生活送っている。それぞれの夢を抱いて自分の人生を進んでいる。まだまだ、分からない事だらけだろう。私もかってはそうだった。
会社員として働いている大人になった子どもたちの行動を見れば、彼らの人生のステージが見えてくる。私も同じステージにいたからだ。色々なことが会社で起こる。理不尽なことは日常茶飯事だ。自分の常識が常識でない場合も多い。正義が正義として通らない現実の壁にぶち当たる。時間の経過と会社員としての慣れで角々しかった性格が丸くなりはじめる。
年寄りになると子供の会社員生活のステージが手に取るように分かる。
一方、自由になった老人の新しい人生ステージは見えない。自分の人生ステージを作っていないからだ。白紙の道が目の前に置かれている。
私の人生は、死ぬまでビジネスを営むことだ。自分の力で経済的に苦しくなる生活を豊かにするビジネススキームを作り上げて体力が落ちても運営できるビジネスモデルを持つことだ。年寄りになると体力で仕事が出来なくなる。知恵、頭、知識と経験値でお金を稼ぐしか無い。肉体的に老人は弱者になる。肉体的に弱者になっても知恵でお金を稼ぎ続ける力は老人でも持てる。
80歳になってから始めるのは遅い。60歳代から始めるのが一番良いタイミングだ。いろいろな試行錯誤ができる年齢だからだ。体力も気力もまだある。新しいことは、失敗の連続で始まる。失敗がないと成功に結びつかない。失敗してもやり遂げようとする父親の姿は子どもたちにとって良いお手本になる。
自分の父親は、65歳の時に何度もビジネスで失敗したが諦めなかったという印象と記憶を子どもたちに残せる。ビジネスの成功、失敗はポイントではない。諦めないで自分が目指した目標に立ち向かう姿勢がポイントだ。父親として一番の喜びは、自分の子供達が困難に立ち向かって諦めない心だと思う。諦めなければ、1人で現実の世界を生きていけるからだ。
年金をもらい始める65歳は、新しい挑戦をする良いタイミングだ。後ろ向きで守りに入る人生は面白く無い。前向きに新しいことに挑戦する父親の姿勢は子供の目に尊敬の念を植え付ける。就活にせよ、起業にせよ、簡単ではない。
その困難に挑戦し続ける父親であるか、ないかが重要だ。本当の人生は、65歳になってから始まるのだ。