妻が喜ぶ定年退職後の夫とはどんなイメージか?

新婚時代の若妻を懐かしく思う。夫を立ててくれた。夫のことをいつも、はい、はいと聞いてくれた。子供を産むと若妻が母親になる。母親になると「母強し!」だ。子供の教育やお世話で言葉がきつくなる。そのとばっちりが夫に来る。

この傾向は、多分、どの家庭でも同じだろう。日本だけではなく、東南アジア、米国の家庭でも似ている。母親の力が家庭を牛耳る。夫は働いてお金を稼いでいるうちが花だ。亭主元気で留守が良い。当然、個人差はある。亭主関白の家もあるだろう。

妻は定年退職後の夫に何を求めるのか?

夫婦のパワーバランスが崩れるときは、夫が定年退職で失業した時だ。夫としての役割(お金を稼いでくる)が満たせなくなった時に妻のパワーが増強される。妻のパワーに打ち勝つには、新しい仕事を見つけてお金を稼いで来る事しかない。それでも、まだ、妻の力に勝てない場合が多い。

夫の年齢が75歳を過ぎると体力的に妻が勝ってくる。夫はますます力弱くなり、妻に依存し始める。妻は、徐々にエンマ大王に変身し始める。妻のいじめが始まる。言葉はきつくなり、何十年と鍛えられた口という武器を弱弱しくなった夫に機関銃のように発射する。

夫にとって嫌なことは、命令口調で指図されることだ。

あたかも自分の子供に命令するかのように夫に指示する。こんな時は、いつも、私はこう言う!「私はお前の子供ではない!」それに対し、妻はこういい返す。「こんな子供を産んだことが無いわ!」と。

こんな会話が子供が巣立った後に行き来することが多くなった。夫にもプライドがあり、メンツがある。その心情を妻は理解していない。長期政権で家庭を独占してきた妻は、その空間にやってきた定年退職者を良しとしない。「私のプライベート空間を侵略しないで!」と。

夫はしぶしぶ朝から行き先がない場所を探しに外出する。妻のパワーはピークに達する。65歳から年金がフルに受給できるようになる。妻は、夫の年金で生活する。夫は、ちょっとだけ主人としての権限を取り戻す。

ただし、

定年退職後も大蔵省が妻であったら、このささやかな権限も取り上げられる。年金振り込みの銀行口座は、必ず、夫の銀行口座にしておくことだ。夫婦口座にしておくと勝手にお金が逃げて行ってしまう。

普通は、本人の銀行口座に年金が振り込まれる。閻魔大王も金次第のところがある。

夫は、体を鍛えるべきだ。妻たちは、毎日井戸端会議で口を鍛えている。夫たちは、近くのスポーツセンターで筋力をつける。健康で体力があれば、妻たちの口に耐えられる。弱弱しい夫よりも力強い体格の夫のほうが妻は喜ぶはずだ。

 健康であれば、介護で夫の世話をする必要がないし、家でいじめ遊んでも大丈夫だと思うはずだ。妻の夫いじめは、夫が体力的に精神的に弱くなると表面化する。今までの堆積した不満がいじめとなって噴出する。これも個人差がある。

最悪の事例が、定年退職離婚だ。果たして、それが本当に夫婦にとって良い事であるかどうかは、一度、自分で生活がうまくいくかを体験してからにしたほうが良い。別居生活をして、お互い一人で十分生活ができると確信したら、離婚をすればよいだろう。

「人」という文字は、夫と妻に支えられて出来上がっている。二人で一人の人間になる。夫婦の喧嘩は犬も食わない。