電車の中に子供たちが乗っている。昼間の電車の中は、引退したシニアらしき老人夫婦たちも多く見かける。朝は、通勤で会社員だらけだが昼間は老人たちと子供たち、そして、若い母親と赤ちゃんの天国になる。
引退したシニアのファッションは、会社勤めをしていたような服装ではない。今は夏なのでラフな格好だ。ラフな格好なのだが、どうも着ている服にこだわりがあるような感じがしない。まるで隣りに座っている子供のような感じのファッションに思える。
老いてくると高齢者は世間を気にしたファッションをしなくなる。社会とのつながりが薄くなり、自分を気にする人たちがいなく成ったからだ。引退後の服装はどうあるべきかも考えることもない。自宅出来る衣服と外出時に着る服装に注意を払うのが面倒になるようだ。
子供に戻るシニアと老人の品を醸し出す老人
先程乗ってきた相鉄線の電車の中で見かけた老人のファッションは、まるで自分の家の庭先で犬に餌をやっているような姿であった。Tシャツにショートパンツに運動靴だ。若い姿だが、横浜の街なかや電車の中で見たくないファッションである。
「老人の品」
老人の服装は、他人の目を気にしない子供のようになってしまうと「老人の品」が問われ始める。 他人が見て違和感や不快感を印象づける服装はマイナスである。「老人の品」を持っている老人と持っていない老人では、見る側の評価がだいぶ違う。
老人としての品が服装に出ていると憧れる。自分も年寄りになったらあんな服装で外出をしたいと思うようになる。老人になるとシワが増えて、体は枯れてきて、皮膚は汚くなる。体は老人の品どころではない。**醜い部分を美しいもので隠すには、服装と品格で勝負するしかない。**
洒落たハイカラ帽子に麻のシャツ。体を筋トレで鍛えていれば、ストレートスキニージーンズが似合う。ぶかぶかのスポーツパンツは外出用ではない。自宅近くを散歩する時の服装である。自分を若く見せるには、派手な柄や色の服装がシニアに適している。
なぜか、日本の老人は地味な色とデザインの服装を好んできている。地味であるとますます自分は老人であると言うことになる。ヨーロッパ人にしても米国人にしても老人は派手な色彩の服装を好んで着ている。いつも、気持は若いからだ。
自分を若く見せる自意識がある老人は、他人からどう見られるかを気にする。ここに「老人の品」が生まれてくる。服装を気にしない老人は、子供と同じ。誰かが気を利かせて今日着ていく服装を決めてくれないとまともな格好に成らないと言った感じである。
シニア女性の美
私は男性なので自然とシニア女性の服装に目が行く。男性の服装よりも先に女性のファッションを見て良し、悪しを判断してしまう。品が醸し出ているシニア女性のファッションは、誰が見ても同じ印象を持つ。髪型から表情、イアリングからネックレスまで。服装だけにとどまらず、体全体から醸し出てくる雰囲気がある。
電車の中で私の目の前に座っていたシニア女性は髪の手入れとスタイルがパッとしていなかった。髪型が決まっていると顔の印象がすごく変る。髪が乱れていたり、バサバサしている感じがあると女性としての魅力が欠けて見える。60歳を過ぎ女性だから美意識が弱まってきたのかもしれない。
生まれ育ちが違うと住む世界も違うという感じがある。成金と本当のお金持ちとの違いと同じである。何も言わなくても、雰囲気でその違いが分かる。老人になればなるほど雰囲気の伝え方が顕著に服装に出てくる。老人が増えてくる時代である。自分に対する美意識は老いても忘れるべきではない。自然と他の老人と比較されてしまう。
魅力的なシニア女性は、姿勢が良い。姿勢が良いと服装が一層目立つようになる。「老人の品」も外見的な美貌でプラスに働く。外面と内面の美はシニア女性にとって肉体的な老いをカバーする。
結論
「引退したシニアの服装が子供のようなファッション」に見えるのは、他人の目を気にしなくなった老人だからではないかと思う。自宅外での行動は老人と言えども誰かに見られている。周りの人たちに良い印象を与える服装と振る舞いがシニアの世間体を良くする。「老人の品」は外見の印象から始まる。