父親をどう思うか?

お盆は実家に帰らない。既に墓参りは5月にした。親父の誕生日が8月16日だ。親父は72歳で亡くなった(記憶が確かならば)。私がシリコンバレーで仕事をしている時だ。親父には感謝している。自由な事をさせてくれた。親父の仕事を継ぐことを言われなかったし、自分がやりたいことを追求させてくれた。

親父の青春は、第二次世界大戦で失われた。 

強運の持ち主であった父親!

私の記憶が正しければの話だが、海軍に所属して海軍の二人乗り飛行機の機銃手であった父。敵の潜水艦から発射された魚雷が親父が乗船していた軍艦にあたり沈没。海に投げ出されて浮かんでいるところを味方の船に救助されたという。多くの軍人がきっと亡くなったと思う。その中で親父は生き残った

今の自分は、親父が生き残ったおかげで生存できている。戦争で亡くなる人、生き残る人の運命は一体誰が決めるのだろうか。戦争でなくても長生きする人、短命になる人の運命も同じだ。 生き残らなければ、後を継ぐ子供が生まれない。私は、兄、姉とともに親父の跡を継ぐ人間として今もこの世に生きている。

戦争経験がある親父は、私たち子どもに戦争の体験談をあまりしなかった。子供心に親父が言葉に出したことを覚えている。戦時中の東南アジアでマラリアにかかり回復したのでマラリアの抗体菌を持っているとか。それぐらいしか今思い出しても浮かばない。もっと、戦時中のことを話していたのかもしれない。

6人兄弟で5人が戦争に駆り出されたという。幸運にも兄弟5人が生き残って帰国した。そんな話を聞いた。戦争を知らない子供たちの一人である私にとって戦争経験者の親父には頭が上がらない。とても、私には生き残れないと思う。 

農家出身の親父は、多分、体力的に強靭であったのかもしれない。商家出身者や学生は戦争に耐え切れなかったそうだ。ああ、そうだ。思い出した。海軍の飯は美味しかったと言っていた

親父が生きているうちにもっと親父の人生について話を聞いておくべきであったと反省している。親父の戦争体験は、私にとって空白の知識だ。 

私は、親父にとって誇れる息子であっただろうか。米国の州立大学に留学し、卒業後、運あって成長著しいソニー株式会社の海外事業部に入社した。私の学業成績から言って親父はビックリしたのかもしれない。兄、姉と比較して私は勉強が出来なかったからだ。いわゆる出来の悪い末っ子だ。 

そんな出来の悪い末っ子が誰もが憧れるソニーに入社できるなんて親父も驚いていた。米国の州立大学を卒業出来たことも親父とってもっと驚きなのかもしれない。 子供が親父の予想を超えることを成し終えると子が父を越えたとなる。それが喜ばしい事と昔から言われている。

私の人生と存在は、強運の持ち主である親父がいたから今がある。その強運の親父の跡を継ぐ者として残りの人生を私の跡を継ぐ子供たち二人を見守りたい。毎年お盆がやってくる。亡き父親だけでなく母親と祖父祖母の事も思い出したい。住んでいる世界は違うけれどもどこかで繋がっているのではと感じている。