今日、小さな幸せを感じた。子供の頃と違って大人になるとちょっとした事で幸せを感じなくなる。贅沢な生活をしていると他人が喜ぶことに反応しなくなるのと同じだ。喜びや幸せを感じる「幸せを感じる感度」が高い人ほど多くの幸せを人生の中で感じ続ける。そんな人を私は知っている。そして、羨ましいと思っている。私の「幸せを感じる感度」は、日常の良き出来事では感じないところにある。それが残念で悔しい。
小さな幸せを感じられるように意識を傾けている。そんな時にこんな幸せごとが起こった!
定期入れを落としたのを教えて頂いた!
毎週2回スポーツセンターにやってきて筋肉トレーニングをしている。着替えをロッカールームで行う。今日は、混んでいた。外は大ぶりの雨であった。着替えを終えてロッカーを閉めようとした時、他の利用者が私に声をかけてくれた。「定期みたいなものが落ちていますよ!」その声で慌てて落ちている自分の定期入れを拾った。
こんな事は日常茶飯事の出来事だろう。これで幸せを感じる人は少ないかもしれない。以前の私だったら、この出来事を小さな幸せと認識しなかっただろう。良くあることだからだ。
「幸せを感じる感度」が高い人は、良くある出来事で幸せ感を味わえる能力を身に付けている。 ちょっとした楽しいことでも幸せを体全体で感じる。今日、初めて私は良くある出来事で幸せを味わった。定期を落としたことに気が付かなかったら、後で相当悩むからだ。別に大金を定期に入れてあるわけではないが、定期入れケースは、毎日身につけて生活をしているので失うのが嫌だったからだ。
「シニアの品格」という書籍が最近出版された。その本の中で1日に5つ、または、3つ以上、幸せだと感じたことを日記に書くと小さな幸せを感じやすくなると書いてある。
ものは試しで私もそれを実行しようと思っている。昨日の私の人生で何か良いことが起きただろうか。昨日は家内と一緒にダイニングテーブルの椅子を修理していた。修理というか、座席の革の張替え作業だ。二人で椅子の革の張替えは初めての作業であった。コツが分からなかったので3時間ぐらい試行錯誤を繰り返してやっと革の張替えが出来た。
6脚あるうちの一つだ。
3時間かけてこなした革の張替え作業は、私達夫婦にとって味わったことがない幸せ感を与えてくれた。私よりも「幸せを感じる感度」が高い家内は、もう、大喜びであった。自分たちだけで椅子の革張替えが出来るとは思わなかったからだ。専門業者に依頼すれば、1脚3万円ぐらいする。それを材料費5000円+道具代3000円の費用で出来てしまったのだ。
1脚の椅子の革張替えが出来るとやり方を覚える。今日の朝は、二人で2脚椅子の革張替えを1時間でやってしまった。昨日と比べて2時間作業を短縮させた。これも小さな喜びを私達夫婦にもたらした。椅子の革の張替えなんて普通ならば自分でやらない。業者から見積もりをとってお願いしてしまう。実際、隣人たちは皆そうだ。
私にとって小さな幸せを感じる出来事は、この2つしか今はない。これを3つ以上毎日日記に書けるようにしたい。感受性のアンテナをもっともっと伸ばして感度を良くする。