長生きをすれば幸せなのか?

誰もが長生きをしたいと願っている。誰にでも寿命がある。人間の寿命は、遺伝子でプログラムされているという。古くなった細胞は分裂して新しい細胞に再生される。その細胞の再生する回数が遺伝子でプログラムされて決まっている。遺伝子のプログラムは、各人の遺伝子で違う。寿命が違うのは遺伝子のプログラムが違うからだ。

細胞分裂が出来なくなった時点で寿命が尽きる。

本当に長生きをしたいのかどうか?

テレビの健康番組、雑誌や書物でも寿命を延ばして長生きするにはどうしたら良いかが話題になっている。食べるもの、健康食品、サプリメント、運動など多岐にわたっている。

2015年現在、100歳以上の高齢者が約6万5000人いるという。人間が100歳以上生きられるという実証だ。50年前と比較して420倍だそうだ。それほど、長生きをする人が日本で増加してきている。

遺伝子での寿命は、実際に100歳以上にセットされているのだろうか。100歳になる前に他界する人は、病気、事故、災害など自分ではコントロールできない要因で亡くなってしまったのだろうか。寿命は生活習慣で延びたり縮んだりするみたいだ。 

誰もが何をすれば長生きできるかを捜している。これをやれば長生きすると言った内容の書籍やテレビ番組が増えているのは、そこに需要があり、関心を集めているからだろう。 

人間の寿命は、本当のところ、100歳以上にプログラムされているのではないか!外的要因がなければ、人間は100歳以上生きられるのではないか。そんな気がする。私たちが過去の寿命歴を見て勝手に寿命を短く見ていたのではないか。

それとも、100歳以上生きている老人は選ばれた人たちなのかもしれない。この世の中は、個体の寿命だけで説明できない。内的な要因だけで生き続けられない。外的要因で亡くなるケースが多い。戦争、事故、殺人、災害など予想が出来ない出来事で寿命が切れる場合が多い。

平穏無事に生活が出来て生きて来た老人たちが今100歳を越えて生き続けている。 

遺伝子で決まった寿命を全うできるならば、100歳以上は誰でもが生きられるのではないか。100歳になる前で他界する人は、多くは病気だ。生活習慣病や成人病で他界するケースが多い。それを考えると自分でコントロールが出来る体の健康は努力次第で変えられると言う事だ。 

遺伝子で決まった寿命は、私たちが想定している以上の寿命である可能性が高い。ただ、私たちはその寿命を全うする生活をしていないだけではないか。

こう考えると遺伝子でプログラムされて決まっている寿命の事を気にする必要はない。細胞分裂が出来なくなり新しい細胞を再生できなくて死んでいくという確率は限り無く小さい。そこまで自分の寿命を全うできていないのが事実だろう。

人生は、長く生きれば良いという物でもない。良い、悪いの評価は私たち人間が勝手に付けている。戦争で100人殺せば英雄になり、平常時に一人殺せば殺人者になる。この評価は、全て私たちの社会で決められたルールでなされている。詰まるところ、自分の人生をどのような人生にしたいかではないか。

病院のベットの上で長生きをして生活する事が幸せだろうか。健康で普通の生活が出来ている状態でないと長生きをしても意味がないのではないか。そうなると、健康寿命がキーワードになる。 

健康寿命は、自分で生活が出来る環境を作り上げなければ延ばす事が出来ない。経済力、体を動かす筋力、認知症にならない生活習慣など色々と気を遣う必要があるだろう。

まずは、 

自分で始められる健康寿命の伸ばし方を見つける事だ。私は、体を動かす筋力に健康寿命の延ばす要因があるとみている。60歳から筋力が急激に衰える。同時に新陳代謝も衰える。さらに、免疫力も衰える。普通の生活を維持するには、自分の体を動かす筋力を維持する事が基本だ。筋力は知らないうちに衰えていくので意識して筋肉を維持、増やすトレーニングをする必要がある。

最近、つま先立ち運動を通勤時の電車の中や待ち時間に行い始めた。10分から20分程度、ずっとつま先立ちをしている。これをすると体から汗が出てくるぐらい筋力を使う。つま先立ち運動は、足のふくらはぎを鍛える。ふくらはぎは第二の心臓と言われる。足に届いた血液を心臓に戻すポンプの役割をしているからだ。この機能が衰えると血液の流れが悪くなる。

血液は、栄養と酸素を体内に配送する役割をしている。これが悪くなると体全ての機能が機能しなくなる。

筋肉運動は、普通の生活を維持するだけでなく新陳代謝を向上させて免疫力を増やす。そんな意味合いで私は、毎日出来る範囲で筋肉トレーニングをしている。