理性では、赤ん坊や幼児が大きな声で泣き叫ぶのは自然な現象と理解している。私自身も赤ちゃんで幼児であった時期があるからだ。カフェでパソコンに向かって仕事をしているとどうしても泣き叫ぶ幼児の声が耳に届き過ぎるくらい届く。赤ん坊や幼児の職業は、泣き叫ぶことだから仕方が無いのだが、他人がいるカフェに母親が泣き叫ぶ赤ん坊や幼児を連れてくるのは考え物だ。
カフェにやってくる母親たちは、育児のストレス発散と気分転換で赤ん坊や幼児を連れてくるのだが、他人が大勢いるカフェには長居をしないでもらいたい。もし、カフェに居たければ大声で叫んでもおしゃべりで消えてしまうほどの騒がしいカフェに行ってもらいたい。これがシニアの本音だ。老人は、忍耐力が落ちている。
理性では理解していても感情では、耐えられなくなっているシニアが多い。
忍耐力が落ち、精神的な余裕が無く自己中心的になるシニア
赤ん坊や幼児の叫び声に我慢できなくなるのは、私だけなのだろうか。皆、どう感じているのだろうか。私だけが忍耐力の欠如に陥ってしまったのだろうか。
周りの雑音から逃れるためには、若者たちがやっている方法が一番良いかもしれない。耳にイヤホンを入れて音楽を聴いている事だ。これがカフェで自動的にやる習慣が身に付けば良いのだが、いつも、時遅しでイヤホンを探すのが私だ。
公衆マナー欠如の若い母親たち
人間は、理性で自分の感情をコントロールするように教育される。TPOをわきまえて静かにすべき場所で音を出さない。赤ん坊や幼児は、まだ、そのような事を学んでいないので文句を言う筋合いはない。どうしような無いからだ。赤ん坊や幼児の問題ではなく、母親の理性の問題だ。
母親たちには、色々な家庭教育を受けた人たちがいる。マナー教育が家庭で出来ている母親は、TPOをわきまえて行動をしている。泣き叫ぶ赤子や幼児ならば、公園に連れて行く。騒がしさに慣れているマクドナルドに連れて行く。
だが、理性やマナー感覚が欠けている若い母親は、自分の感情を優先してカフェにやってくる。大声で叫んでいる赤子や幼児を連れてだ。他のお客が一斉にその母親と幼児に目が向かう。それでも、その視線を無視している。公衆マナーという教育がその母親は学んでいなかったようだ。
老人がいる所では静かにしなさい!
忍耐力が急激に落ちてくるシニアは、感情が先に頭にやってくる。感情が理性をオーバーテイクし始める。感情は、理性よりも強い。本能だからだ。理性は、教育で植え付けられているため弱い。
昔から親に言われたことは、「老人がいるところでは静かにしなさい! 」という事だ。
その理由が、老人に成って分かった。理性の制御が弱くなって耐える事が出来なくなってきたからだ。当然、個人差があるだろう。その問題をうまく処理できる能力があるシニアは幸せだ。
私は、意識的に赤子や幼児を連れている若い母親グループがやってくる場所を避けている。これしか、今の所対応が出来ない。君子危うきに近寄らずだ!カフェにやってきた時は、諦めて耐えて耐え抜くしかない。イヤホンは欠かせない道具である。
他人の赤ん坊や幼児に「静かにしてね!」と母親を前にして言えない。これが身内の家族であれば、直ぐに言える。孫の母親は自分の娘になるからだ。
赤ちゃんや幼児の叫び声が騒音になる
少子高齢化で2030年には65歳以上の高齢者の人口が三分の一になる。老人の人口が増えることで今まで気になっていないことが気にせざるを得なくなる場合が生まれる。公園で幼児や子どもたちを遊ばせる母親たちにクレームをする老人たちが増えている。公園から聞こえてくる声が老人には騒音に聞こえるからである。
私が子供であった頃は公園で大声で叫びながら遊んでいた。誰もその声を騒音だと感じていなかった。今はこ殿も叫び声や大声が騒音として受け取られてしまう。警察に公園から聞こえてくる子供の声がやかましいから注意してくれという電話がたくさん来る。
公園近くに住む住民が高齢化したため、静かな環境を求め始めた。高齢者は全般的に静かな環境を求める傾向が多い。その静寂を壊す叫び声や大声はストレスになる。これは人により個人差があるが、TPOや公衆マナーを無視する子供連れの家族は問題がある。
赤ちゃん、幼児、子供が出す騒音は保護者教育に責任がある。他人の赤ちゃん、幼児、子供が出す鳴き声、叫び声は老人にとってストレスになる。
結論
- 理性では赤ん坊や幼児が大きな声で泣き叫ぶのは自然な現象なのだが、他人がいるカフェに母親が泣き叫ぶ赤ん坊や幼児を連れてくるのは考え物。忍耐力が落ちているシニアにとってカフェでの赤ん坊や幼児の叫び声は我慢し難い。
- 赤ちゃんや幼児を連れてくる若い母親たちは公衆マナーを守ってTPOを考えてもらいたい。