私には子供が二人いる。既に二人共巣立ちしている。長男は結婚して完全に私達の手から離れている。次男は、独身で自分の将来の目標のために挑戦しているが、自宅から出て一人で生活をしている。親としての義務、子供を大人になるまで育てるという義務は全うしたと思っている。
でも、親は死ぬまで子供を見守る本能的な義務がある。社会的な義務からは開放されても、親としての本能的な義務は続く。親は死ぬまで子供を心配する。問題は、どのように「大人になった子供」を見守るかである。親が学んだ人生経験を子どもたちに伝える。困難に遭遇したら、どうすべきか。生き方を教えるしか無い。
大人になった子供たちに親は何が出来るのか?
何か困ったことが起きたら、親としてできる事と出来ない事がある。さらに、親としてやるべき事とやるべきでない事もある。特に、お金に関する問題は、やり方次第で子供をだめにしてしまうリスクが有る。
親として出来ること
- コロナ禍で経済的に苦しくなったら借金をする前に金銭的な支援をするが飽くまでも生活が出来る範囲にする
- 失業して生活に困る状態になるようなら、次の仕事先が見つかるまで衣食住を実家で提供する
- 気分転換のために時々実家で好きな料理を食べさせる、または、一緒に外食する
- 年に数回、家族が集って親睦を深めたり、旅行に出かける
基本的に親として出来ることは限られている。精神的な支え、話し相手、無償の衣食住の場の提供ぐらいである。自分で人生を切り開いていくためのベースキャンプとして親の存在がある。子供は私達の生まれ変わりである。親の人生は途絶えるがその後を引き継ぐ子供の人生は続く。その人生にプラスに成ることをするしかない。
出来ないこと
- 自分の失敗で大きな負債を抱えたら自分の責任
- 共倒れになるような連帯保証
- 親の夢を子供に強要する(子供にも夢がある)
- 親の力で子供の人生を楽にさせる(子供の自立心をだめにする)
お金で困っていても年金生活の親には限界がある。無理をして親の老後を駄目にするようなリスクは取るべきでない。親と子供の人生は相容れない。
親としてやるべきこと
- 子供の話に耳を傾けて困っていることの解決策を自分で考えつくようにさせる
- 人生の先輩として失敗した経験や解決方法を教える
- 子供との接点を定期的に作るイベントを行う(会食、旅行、誕生日、クリスマス、正月など)
- 生きて行く上で困った時の避難場所を提供する
子供が何歳になっても親は親である。親は子供が自立して独り歩きが出来るまで心の支えを提供しなければならない。親は時間とともにこの世から消え去っていく。出来る範囲で心の支えになる。
やるべきでないこと
- 直ぐに親に頼る考え方や姿勢を植え付ける
- お金を理由なく与える
- 子供に頼る老後生活にする
- 大人になった子供を躾ける
- 住宅の購入時に資金を提供する
- 孫のための教育資金を肩代わりする
子供たち家族の生活や自分たちの老後生活を駄目にする行為はしない。出来ないこと、やりたくないこと、無理なことははっきりと子供たちに伝える必要がある。
実家は大人になった子どもたちのベースキャンプである
生活で困って衣食住が大変になったら、いつでも実家のドアを叩けば良いと子供たちに話している。その意味合いで私は長生きをして働けるまで働いてお金を稼ぎたい。
20歳代、30歳代の若者は、まだまだ世の中の仕組みを理解できていない。知らない事や未経験な事がたくさんあることを親が教えなければならない。子供が問題を抱えて悩んでいる時に親の人生経験が助言として役に立つ。
今の子供達は、私達が経験したような引かれた路線の人生を走れば良いという訳にはいかない。自分で自分の人生を作っていかねばならない。私たちは大きな変化の中で適応しようとしている。過去の常識が常識でなくなる異変に直面している。
親が良き相談相手として役に立つのは子どもたちが将来遭遇する困難を先に経験してその時に学んだことを子供に伝えることではないか。子供を見守るには、子供が将来遭遇する困難に先に立ち向かいその結果を子供に伝えるしかない。51歳の時に始めた私の起業と経験は、将来、子供が起業に挑戦しようとした時に役に立つと思っている。
結論
大人になって独立した子供たちを親はどう見守るべきなのか。何か困ったことが起きたら、親としてできる事と出来ない事、やれることとやれないことがある。大きな変化が起きている今、家族が団結してお互いを助け合うことが求められる。生活基盤が弱い子供たちに避難場所として実家というベースキャンプを提供する。親が子供に出来ることには限度がある。正直に親ができること、やれることを子供たちに伝えるのが重要である。