台風の時に川や海に呼ばれて死に行く老人が多いのは、なぜ?

台風が日本に沢山やって来る夏は、水による事故が多く報道される。中でも老人の事故がなぜか多い。海に近い、河川に近い場所に住んでいる老人が台風がやってきているのに外に出て行って水難に合うニュースがなぜ多いのだろうか。常識で考えても普通の人は外出をしない。

 でも、老人は台風の中を外に出ていく

自然が老人を誘うのか,それともそれが老人の運命なのか?

大雨が降っている中を川の様子を見に行って流されて死んでしまった老人。堤防が大丈夫か気になって好奇心で川の様子を見に行った。普通ならば、わざわざ大雨の中を外に出ていくことはしない。

自然が老人を誘う

でも、自然が老人を誘うかのように大雨や台風の中で川や海の様子を見に出かけてしまう。家族が止めても家を出てしまうというケースが多いと聞く。あたかもそれが運命であるかのように外に呼ばれていく。

一体、何が起こっているのだろうか。いつも、老人の水難事故のニュースを聞くと疑問に思う。

私は、それらの事故はその人の運命であったのではと思っている。自然現象の力を借りて神様が人間の運命を決めているのではと。何かに誘われるように老人が大雨の中を出て行くのは正常な精神状態ではない。なぜ、川の様子を、海の様子を大雨や台風の最中に見に行く必要があるのだろうか。

人間の認知を越える自然の力がそうさせているのではないだろうか。

この世には、私たちの理解を越える出来事が多すぎる。科学や詰め込んだ知識では解明できない出来事が気付かないうちに起きている。私たちの常識を遺脱した行動を起こす老人が多い。自分で死に急ぐのか、認知症で徘徊したためなのか、結果だけしかわからない。

多くの年配の親せきや知人からこんな話を聞く。自分の死を感じてその準備をして亡くなる親戚がいたという話だ。本当かウソかは定かではないが、自分の死に際を感じる人は多いのではないだろうか。自分が意識するのではなく、自然と死に行くための準備をしなければならないと感じさせられるのだ。

台風の中を川の様子を見に行く老人は、非常識な行動と周りが感じても、何かに引き付けられるように外に出て行って水に足を取られて亡くなっていく。これが良い、悪いの価値観で判断や理解はできない。人の運命としか私は感じられない

家族しか嵐の中を外に出ていく老人を引き止められない

何かに惹きつけられるように台風の中を外に出て海や川の様子を見に行く老人に家族がいるならば、家族しか老人を引き止められない。常識の範囲を超える行動は家族が強く半強制的に引き止めるしかない。惹きつけられる人は自力で自分の行動を止められない。言葉で説得できない状態であればあるほど、家族全員が力付くで引き止めるしかない。

自分で正常な判断ができない行動や言動をするシニアは川や海に引き寄せられている。老人以外の家族が今外に出るのは危ないと感じるならば、老人を強制的に引き止めるべきである。後で老人に怒られてもその老人の命を失うよりはマシである。

好奇心で川の堤防に出かけて川の様子を見に行く老人が多い。リスクをリスクと思わない。好奇心がリスクを負かしてしまう。そんな兆候が老人に見えたら、有無を言わせず家族が引き止める。

結論

台風の中をあえて外に出て海や川の様子を見に行く老人が多い。そして、水に足を取られて水難事故に会う。それが何度もテレビのニュースになる。非常識な行動であるのに正常なリスク判断ができない老人たちである。好奇心で川の堤防を見に行く。リスクよりも好奇心がまさるために嵐の中を外出する。

正常なリスク判断ができない言動や行動を老人に感じたら、家族は強制的に老人を引き止めるべきである。老人の命を失うよりも後で怒られたほうがマシである。