頻繁な便意感でトイレから離れられなかった先週末。今日は、体調が回復してきているために午前中はNPO団体の定例会に参加。トイレに行ったのは1回であった。ランチを近くのレストランで食べていたら、便意を感じて急遽トイレに直行。下痢になっていた。下痢になると体力が急激に落ちる。
出すものを出して横浜に向かうために東京駅から東海道線に乗車。乗車中に今度は尿意感が出てきて横浜駅ではなく、川崎駅で途中下車。駅のトレイは使用中で使えなかったのでラゾーナ川崎プラザに行ってトイレで用を足す。尿も便も出すものを出してスッキリしたときに医者から処方された薬を飲んでしばらく休んだら、お腹が落ち着いてきて元気が回復してきた。
横浜駅に向かった。横浜でやるべき雑用を済ませて今スタバで仕事をしている。お腹の調子は良くなってきた。便意感はない。64歳の健康的なシニアでも体調を崩すと外出も難しくなる。
外出できる老人は健康で元気だ
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65歳になって世間の厳しさを肌で感じ始める。65歳という年齢が職を探す上で大きな壁になるからだ。正社員、非正規社員を含め65歳以上の労働者は特定の分野を除き好まれていない。人不足が深刻な介護分野は、65歳以上の労働者を社員として受け入れやすい。
問題は、介護分野でシニアが働きたいと思うかだ。強い意志と情熱が無いと続かない。介護の仕事は、普通の会社の仕事と同じではない。老人と言う人間を取り扱う。それも、普通の人間ではない。何らかの障害を抱えた老人たちだ。私自身、とても介護の分野で働きたくはないし、働いても1か月も続かないだろう。
65歳以降も働きたいシニアは、起業という選択肢しか残らない。
他人(他社組織)に頼る起業はもろい
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私達夫婦はやりたいことがあるのだが、両親の介護・生活支援で精神的に余裕が持てていない。93歳の義父と88歳の義母のお世話と見守りをせざるを得ない。義父は、自宅で一人生活をしているが私達夫婦の週1回の生活支援なしでは続かない。義母は老健施設に入居しているが、週1回の訪問面会を期待している。
二人共高齢であるため身近な私達夫婦の見守りが必要。身近と言っても横浜から東京まで1泊2日で行く見守り作業になる。60歳代のシニアは、自分の両親や妻の両親の介護や支援で時間を取られる。これは誰もが通る道かもしれない。
本来ならば、夫婦二人でゆっくり長期間の旅に出たいと思っているのだが現状はそれが物理的に難しい。
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公衆電話を探しに横浜駅西口辺りを歩いて見つけた場所が消毒の匂いと小便の匂いでせっかく見つけた公衆電話を使わずに別の場所を探し始めた。薬局のお店の前に緑の公衆電話があったのだが、その横に若いホームレスらしき人物が座っていた。近くに寄ってジロジロ見るのも悪いのでこの場所の公衆電話も諦めた。

この写真を見ての通りビールの空き缶が散らばっている。下にはたばこのごみ。夜中に起きているのではないかと思わざるを得ない。人通りが激しい昼間には公衆電話周辺に人があまりいない。なぜか不衛生な場所になっている。
結局、安心して使える公衆電話を見つけたのは、相鉄線の入り口周辺にある売店近くにあった公衆電話であった。公衆電話で用事を済ませたあと考えた。
なぜ、公衆電話がある場所が小便臭いのか、消毒臭いのか。なぜ、若い青年がホームレスになり身なりも顔も汚れて薬局店の近くで座っていたのか。
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私は70歳で自動車の免許証を返納する予定である。緑内障で視野が狭くなってきているため、運転が出来ても気が付かないうちに事故を起こすリスクを高めていると思うからだ。自動車は人を殺す武器になる。その加害者になりたくない。自動車の免許証を失う事で足の自由が効かなくなるが、自動車事故で他人に被害を加えるよりはマシ!
多分、70歳のときに受ける事前免許証更新の試験を通ることが出来ないと思っている。70歳まであと5年ある。今の緑内障の状況を見れば、右目と左目の視野は、自動車の運転を難しくするのは確かである。
幸運にも家内が運転することが出来る。今使用しているプリウスは、事故を防止する機能がゼロである。いずれ買い換える必要が出てくる。老人が安心して自動車を運転できる機能が装着される時期に買い替えを検討している。
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私は64歳のシニア男性である。60歳代は、まだ、肉体的にも精神的にも若い。肉体は筋トレを定期的すれば30歳代の若者の体よりも見栄えがある体格になる。気力も残っている。やりたい事があれば、全神経を集中できる。まだ、まだ、老化の波にやられる年令に達していない。
だからこそ、
来るべき老化の波に対抗する準備を今する必要がある。老後を安心して生活を送ることが出来るように出来るだけのことをする。若者たちと違って使える生命エネルギーの量が少ない。60歳代は、まだ、パワーを出せる。
シニアが老後を安心して過ごすために考えること
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肉体労働でお金を稼ぐ方法は、これから老いて行くシニア向けではない。シニアは、出来るだけ知能や専門的なスキルを活用したお金稼ぎを作り出すしか無い。これは、男性よりも女性に言いたい。女性は男性よりも長生きをする。金融資産がないと快適な老後の生活を送れない。国民年金の額は、月6万前後だ。この金額では到底生きていけない。
仮に夫の遺族年金をもらえたとしても金額としては不十分だろう。最低でも月額25万円ほどの収入があれば、老婦人の生活で困ることはないだろう。そうなると、月25万円から年金6万円を差し引いて19万円ほど不労所得で稼げば良い。
今から妻に不労所得を稼ぐ方法を試行錯誤で検証してもらうことが出来れば良いが。
シニアの妻でも出来る不労所得を稼ぐ仕組み、何があるのだろうか?
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老後の生活に関する書籍の紹介や広告が新聞に出ていた。私は、基本、老後の生活に関する有名著者の本や雑誌記事を読まない。有名著者の生活と住んでいる世界は、私の生活とかけ離れているからだ。人生60年以上生きてくれば、考え方も生活スタイルも違う。個性が前面に出る。
老後の生活は、こんな生活であるといろいろな人たちが自分の考えや思いを情報として発信している。それはそれで良いのだが、それと同じものを求めるのは間違いだ。
成功したビジネスマンと同じことをして成功するかと言えば、成功しない。それと同じだ。人それぞれの人生だからだ。もう、「皆がやっているから私も!」という思考は止めにしよう。老後の人生は、自分中心に楽しむ人生にすべきだ。生きている時間も限られているし、体を元気に動かせる時間も少なくなっている。
老後の人生は、好きな事をやれる人生にしようではないか。
好きな事がやれる老後の人生
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新聞の声のコラムやインターネットニュース記事などに年金が少ないので生活苦を抱えて生きるのが嫌になった。そんな内容の記事があった。人はそれぞれの事情で老後の生活に困ることがある。その一つが、年金額が少ないために生活が成り立たないことである。
私は、老後の生活で年金額で幸せがどうのこうのと考えるのは短絡的であると思っている。年金の額が多くても、不幸せな老後を過ごす人が多い。残りの人生をどのように過ごしても最終到着駅は誰も一緒になる。お金が有る、無い、多い、少ないで何も変わらない。
お金を使って楽しい時間を過ごせる老人は幸せである。その前提条件は普通の生活が出来る健康な体である。健康障害を抱えた老人はお金を使っても楽しめない。お金で健康が買えないからだ。元公務員は手厚い年金が支給されるから幸せだなんて言っている老人は現実を知らない。世の中は年金で回っていない。ひがみに私は聞こえる。
年金額が少ない人は、事前にそれを知っている。知っているならば、年金以外の収入で補う準備をすれば問題を回避できる。それが出来ていなくて文句を言っている老人たちは、考えものである。事情でそれも出来ない人たちもいるだろうが、原則、自分の人生は自分で何とかするしかない。
人生は不思議である。貧乏な人でも幸せな人生を送っているからだ。大金持ちでも惨めな人生を送る人が多い。自分の人生は自分の状況をどう感じてどうしているかで決まる。
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60歳の定年を迎える前に会社で55歳になると第二のキャリア研修などが行われる。多くの会社員は、55歳頃から60歳以降の身の振り方について会社から考えるよう言われているはずだ。
60歳を過ぎると年齢の節目が見えてくるというか、他のシニアから聞こえてくる。5年毎に老化現象が自分の体に現れてくる。社会も60歳という声を聞いてあなたの取り扱い方を変えてくる。世間の常識として、還暦60歳を越えた人たちを老人、高齢者、シニアと呼び始める。少なくとも若者たちにとっては、60歳を過ぎた人は皆老人として認識している。
再就職先を探し始めると60歳という年齢がマイナスに働いているのがわかり始める。自分のキャリアと出身企業名と学歴があれば、再就職は楽勝だと心の片隅で思っている。自分は、執行役員まで勤めたからそれを評価してくれるはずだとか、子会社の社長までやったのだから、などなど。自己中心の考え方で現実を考えがちである。
年齢の節目で自分の生活がどんどん変わって行く。それに気が付くのは、その年齢になってからだ。
55歳、60歳、65歳、70歳、75歳、そして、80歳が歳の節目
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