32年間妻と一緒に生活をしている。私にとって妻はどのような存在なのだろうか。

最初に言いたいことは、「私の妻は福の神である」と私は思っていることだ。この事は、私を知る人全てに恥ずかしがることなくおおっぴらに口に出している。妻の前でもそう言っている。妻のお陰で何度も助けてもらった恩があるからだ。昔、テレビでこんな番組があった。「私の奥様は魔女」。実は、私の奥様はマーリンと呼ばれている。Merlin(マーリン)は、アーサー王に使えた魔術師の名前である。

彼女は、西洋人のパーソナリティーを持っている日本の女性である。彼女がいるところに多くの知人友人が自然と集まってくる。彼女と一緒にいると落ち込んだ気分がすっ飛ぶと言って皆さんがランチ会をしましょうよと誘ってくる。彼女は、精神的に落ち込んだ隣人や友達を笑わせるスキルを本能的に持っている。明るい性格が彼女を「福の神にしている」。

誰でも困っている時に助けてくれた人は忘れないし、また、会いたいと思うはずだ。彼女は、ちょっとした事で幸せを感じるセンサーを持っている。幸せを感じている人は、そばにいる人にも幸せをおすそ分けする能力を持っている。

自分の妻を褒めるシニア男性は稀かもしれない!

私には子供が二人いる。既に二人共巣立ちしている。長男は結婚して完全に私達の手から離れている。次男は、独身で自分の将来の目標のために挑戦しているが、自宅から出て一人で生活をしている。親としての義務、子供を大人になるまで育てるという義務は全うしたと思っている。

でも、親は死ぬまで子供を見守る本能的な義務がある。社会的な義務からは開放されても、親としての本能的な義務は続く。親は死ぬまで子供を心配する。問題は、どのように「大人になった子供」を見守るかである。親が学んだ人生経験を子どもたちに伝える。困難に遭遇したら、どうすべきか。生き方を教えるしか無い。

人間は不思議な動物だ。意識を一つの事に集中すると難しい事が簡単に出来るようになる。目標を決めてそれを達成しようとする強い意志が集中力を増し、目標達成への糸口を探し続ける。諦めない心が働いて時間が経つのを忘れる。気が付いたら、目標が達成されていたという事が起きる。

未来予測は誰も出来ないが、強い思いがこうありたいという自分の人生を形作って行く。これは確かだ。

人生の目標と言うか、生きがいを見失ったシニアは多い。今までは、子供の教育と住宅ローンで一生懸命会社勤めをしてきた人生であったのだがそのお役目が終了した時点で自分を見失う。旅行、グルメだけでは、暇な時間は埋まらない。心を何かに没頭させる目標が必要になる。

年金収入以外のお金が毎月入る仕組みがあると老後の生活で経済的な不安が和らぐ。65歳以降は、アルバイトやパートが主な収入源になるのだが、70歳を過ぎても働き続けられるかが節目である。体力と健康が維持できて継続してアルバイトやパートが出来る雇用先を確保出来ればの話だ。今は人手不足であるため、若い人材を雇用するのが難しくなっている。70歳を過ぎた高齢者も働き続ける環境ができつつある。 

ただ、

時間の問題で雇用先の事情で雇い止めに会う。そうなった時に自分で小遣い稼ぎが出来る仕組みを作り上げれば、それほど確かなお金稼ぎはない。誰もができるというものではないが、挑戦するとしない人では100%の違いが出る。

誰かに雇ってもらう労働収入は時間的な終着点がある。自分で作り出すビジネスは自分で終着点を決められる。

65歳を過ぎると仕事場以外に居心地の良い場所を求め始める。多くのシニアは、65歳で雇止めで仕事場を追われる。自宅に帰っても妻の城になっている。自分の居場所がなくなる。そこで自分の居場所を探し求め始めるシニアが65歳から多くなる

趣味のグループ、スポーツ団体、ボランティア団体、NPO団体、勉強会など色々なところに顔を出すのだが、居心地の良い団体(場所)は見つからない。

居心地の良い場所を探すにはルールがある。このルールを受け入れられないと居心地の良い場所を見つけるのが難しい。

私は過去も今も若者たちと一緒にプロジェクトビジネスをやりたいと思い続けている。シニアが若者たちと一緒に仕事をするとき問題になるのは、メンタリティーだ。若者はシニアを見て老人と思う。事実、老人なのだがシニアは若者を見ると若年を青二才と思う。口には出さないが年齢差による違いがお互いのメンタリティーに出てくる。

若者のペースでシニアがいっしょに仕事が出来ない場合が多い。仕事で徹夜なんかできないし、忍耐力も若者ほどない。そんな違いを越えて一緒に仕事をするには、シニアでしかできない専門的な知識や経験が必要になる。若者に欠けているものを教える役割としてプロジェクトビジネスに参画できれば、老人と見られるよりも専門家と見られるようになる。

問題は、シニアの誰もが特定分野の専門家ではない。若者とシニアの違いは人生経験にある。そこにシニアの共通した強みがある。若者にないものをシニアが提供できれば、若者たちはシニアに価値を見出す。

do your best

自分では、無駄な浪費を出来るだけ削っていると思っているのだが、冷静に自分の生活を眺めてみるとまだまだ節約が出来るのではないかと思う。節約は美徳であるが、やり過ぎると余生を楽しめなくなる。お金の価値は、健康寿命が続く間だけ輝く。自分で動き回る事が出来ない健康障害に見舞われたら、お金の使い道が限定される。介護費用に行くだけで自分の人生を楽しむ用途に使えない。

私の無駄は、ランチ外食。仕事で毎日横浜のカフェに行く。自宅では、仕事をしない。外出してカフェでインターネットの仕事をすることで精神衛生と体を動かすという生活のリズムを作っている。

私のランチは、1回500円から1200円の出費が発生する。平均して月2万円ぐらいになる。この2万円を節約しようと思ったら、自分でお弁当を作って持っていくしかない。

好きな年齢まで働くためには、自分でビジネスを起こすしかない。これは確かである。または、友人、知人の会社でお世話になるしかない。普通の会社で定年がない会社は少ない。定年がない会社を探しても競争に勝ってニーズを満たす能力がないと始まらない。多くのシニアは、70歳を過ぎたら雇用される機会はない!と思ったほうが気が楽だ。

仕事が見つからなければ、仕事を作るしかない。または、現状に甘んじるしかない。実にシンプルな構造だ。

会社に雇用され続けたシニアは、起業でリスクをとることに躊躇する。未経験の世界に踏み込む時は誰でもそうだ。勇気と可能性がなければ、起業は出来ない。

シニア起業が注目されているが、リスクとビジネスの種で出来る人と出来ない人がどうしても生まれる!

65歳に近づくと会社勤めをしているシニアは、老後の人生を真剣に考え始める。会社を完全に卒業する年齢であり、年金をフルで頂ける年齢でもある。仕事のしがらみから完全に開放される。そんな自由を喜ぶ半面、65歳以降の人生をどう過ごせば良いか不安を隠せなくなる。

旦那がそんな精神状態になると同時に奥方も老後の生活をどの様にすべきか考え始める。主人が毎日自宅にいるという現実にどう対応すべきか。

妻は、夫に今までの生活のリズムを壊されたくないと思っている。夫が会社で働いている時間帯は妻にとって自分だけが独占できる時間帯である。夫に気兼ねや世話をする必要が無い。夫が自宅に居るとその自由が消える。

横浜駅の周りに高島屋、ルミネ、丸井、そごう横浜などのデパートがある。午前中から午後まで老人たちの出入りが多い。目立つのは、何もせずデパートの休憩場所で座っている老人が多いことだ。年齢にして75歳以上の高齢者である。女性が多いが、男性もいる。仕事でそごう横浜の中を通って横浜ベイクオーターに行くのだが、エスカレータの脇にある休憩用の長椅子に老人たちがたむろしている。

特に老人の女性が多い。待ち合わせ場所にしては不適当な場所だし、疲れて休んでいるという感じもしない。休んでいる時間が長い感じがする。

雑多な人が出入りするデパートは、老人たちに何かプラスな効果を与えているのだろうか。

子供の頃、60歳の人を見たら老人だと思っていた。今、62歳の私を鏡に映してみると確かに風貌は老人の顔になっている。顔は老人なのだが、心の中と体力はまだ老人になっていないと思っている。他人に私は老人でないと訴えるのは凄く大変だ。お化粧をしている女性は、ある程度、顔を若作りできる。男性は、ほとんど化粧をしない。やるとしたら、薄くなった髪の毛を人工的に増やしたり、髪を黒く染めるくらいだろう。

でも、

体全体からの印象は老人だ。

70歳を過ぎてお金を稼ごうと思っても体力を要求する仕事は出来ない。新しい機械操作を求める仕事も頭が受け付けない。新しい環境に体や頭がついていけない自分を感じる人が多い。本来ならば、仕事なんかやらないで好きなことをやっている年齢なのかもしれないが、年金生活だけでは生活が不自由だ。そういう環境にいながら何も出来ていない70歳代の高齢者が多い。

70歳以上の老人が出来ることは限られる。

雇ってくれる会社を探すよりも困っている人を探すほうが簡単だ。困っている人を助ける方法を知っていれば、それがビジネスになる。典型的なビジネスが、「便利屋サービス」である。便利屋サービスをシニアが始める時、サービスの範囲を固定したほうが良い。

会社員で一生を終わるシニアは、いつも何処かに所属して降りてきた仕事をこなすことに安心を覚える。これは社畜である。一度社畜と成って自分の生活に安心を覚えると自分一人でお金を稼ぐという発想に辿り着かない。辿り着く時は、リストラに合ってどの会社も雇用してくれなくなる時か、定年退職で会社を卒業する時だ。

会社にぶら下がって安定した給与生活を送り始めると起業して行く友人や知人、先輩や上司に驚く。「よくまあ、リスクが有る人生を選ぶなあと。」

一人で生活費を稼ぐという行為は、大人の最終ステージである。誰もが最後は一人で自分の生活費を稼がねばならない

40歳代、50歳代の会社員は、それが見えているのに見てみないふりをしている。今は、考えなくて良いと。

自分に自信を持つ経験があれば、起業は怖くない! 

声を使った情報検索がこれから一般的になる。アマゾン、グーグル、ライン、ソニー、アップルなどの大手企業からAI(人工知)を使った会話型情報提供家電が販売される。私は、Google Home AIスピーカーを先日注文した。今月中に自宅に届く予定だ。

googlehome

パソコンで検索すれば情報を入手できるが、一々パソコンを起動して情報を調べるのは面倒だ。呼び掛けてAIアシスタントに情報を見つけてもらう方が簡単だと考えた。声であれば、誰でもウエブでの情報検索ができる。パソコンの操作が出来ない高齢者にも簡単に出来てしまう

米国やカナダでは、老人の非常事態(転倒して動けなくなった時など)に登録しておいた特定の家族や友人にアラート電話を音声でかけられる仕組みがある。このアラート電話やメッセージメールは、今後、日本を含む各国で追加機能として使えるようになるという。

自分だけのAIアシスタント(シニアには情報アシスタントが必要)

60歳代の私は70歳代の高齢者のライフスタイルに興味がある。60歳代は見かけも体力も気力もまだ若い。仕事があれば普通に働ける。それだけのエネルギーを持っている。70歳の声を聞くと風貌も動作も顔色も若さを感じられなくなる感じがする。

平均年齢72歳のNPO団体で見かける高齢者たちからそんな印象を持つ。定例会が毎月会議室を借りて行っているのだが、ビルの8階にある。 誰一人として階段で上がって行こうとしない。また、階段を下りて行こうともしない。一台しかないエレベーターに並んで1階まで下りて行く。

明らかに足の筋力と体力に問題を抱えている。70歳代になると体を動かすのが不自由になるのではと思わざるを得ない。70歳代の体は普通の人であれば、体力が激減するというか、知らないうちに体の筋肉が減少して足に悪影響を及ぼす。

体を鍛えるシニア

足が不自由になると老後の生活が一変する。動物は歩けなくなると死を迎える。餌を取ることができなくなり、餓死する。人間は肉体的に精神的に苦しむ。それ故、私の年代のシニアは足や体を鍛える筋トレを始めている。

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このページのシニアライター:Norito H.Yoshida

Profile

雇用される生活から自分を雇用する生活をしている。2023年現在で17年間、起業中。時間と場所に制約されないインターネットビジネスで生活費を稼いで自分独自のライフスタイルを作る。米国の州立大学 Western Washington University, B.S. in Sociology, Bellingham, Washington, USA を卒業してソニー株式会社、Yahoo!Japanで自分がやりたい事をやってきた。

最終的には、私が望んでいた起業(自分の手で稼ぐ生活)が実現。51歳の時に起業してこれからも生涯現役でインターネットビジネスの世界で生きて行く。今の時代は65歳を過ぎると自分を雇用して生きて行く道しか残されていない。本来、その道が当たり前なのだが、人間は弱いので他人に頼る生活を求めがちになる。

シニアの生活実態は人様々。私が発信するシニアの生活体験記が参考になれば幸い。シニアは老後の生活を情報として発信する人が少ない。役に立つ情報は共有すべきであると思う。経験から得た情報は本よりも実用的である。

 

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