スーパーマーケットのレジ仕事はシニア男性には無理(出来ない)

いつも立ち寄る駅近くにあるスーパーマーケットで研修社員が先輩たちの指導下でレジ打ちを体験していた。数人の若い男性がレジでお客さん対応をしていたが、女性と比較しておぼつかない。自宅で家事をする家内の行動を見て女性はマルチに仕事をする事が出来るが、男性は一つの事に集中して一つづつこなして行くのが得意だ。

若い男性研修社員は先輩の女性社員に注意されながらレジを操作していた。その様子を見てとても私は出来ないと自覚した。頭と体が柔軟な若い男性社員でさえもこうだ。とても、シニア男性が出来る仕事ではない。

たまに熟練の中高年男性がレジ打ちをしている。その人はお店の店長であった。経験値があるのでレジ打ちは簡単なのだろう。不慣れなアルバイトのシニア男性ならば、ミスの連続でお客さんが怒り出すのではといつも想像している。

スーパーマーケットにも技術革新が広まって来ている。最も進んだスーパーマーケット店ではレジ打ちスタッフがいない。無人店舗になっている。店舗にいるのは無人店舗のシステムに異常が発生したときや泥棒などの被害にあったときに働くスタッフである。技術が高度化しているのでシニアには太刀打ちができない。

セルフ・レジ・スタイルのスーパーマーケット店舗があるが上手く行っていない。操作面で出来る人と出来ない人が生まれてそれを支援するスタッフが常駐することになる。セルフレジの操作も人によって遅い場合がある。それでセルフレジに長蛇の列が生まれることもある。

レジ対応のスタッフはレジで何か問題があるとレジ操作に詳しい人を呼ぶ。それでお客は待たされる。気が短いシニアのお客ならば、怒鳴り声を出す。その対応にシニア男性がついていけるだろうか。

「暇」で苦しむシニア男性はどうしたら良いのか?

老後の人生は、あたかも一隻の船を手渡されて強制的に船出させられたようなものだ。行きたい場所が分かっていれば、その場所に舵を設定すれば行ける。行きたい場所が分からない人は、海の上で漂うことになる。漂いながら釣りをして魚を食べる。食べながら、陸地に戻ろうとするが陸地が見えないところまで来てしまっている。

老後の人生は自分の舵取りでどこへでも行ける自由を手にする。舵の向ける方向で楽しい、充実した老後が送れるかどうかが決まる。ただ、行き先が見えていないで漂っている人は、老後の人生は苦痛そのものである。行き先がなく、船の上でその日暮らしをする老後になる。「暇」な毎日。毎日が日曜日である。平日に働いていれば週末の休みは意味がある。

70歳を過ぎたシニア男性、仕事もなく、生きがいもない余生は「暇」との戦いになる。仕事を失い、やることが見つからないシニア男性は死ぬまで「暇」に悩まされることになる。

老後をどう楽しめば良いのか?

誰もがある年齢になると仕事から離れる。仕事から離れた時、何で自分を楽しませるかだ。欧米のシニア夫婦は、バケーション旅行に出かける。日本人のような短い旅行ではなく、ロングバケーションである。ドイツ人ならば、比較的生活水準が低いトルコやポルトガルに1か月から3か月ぐらい長期滞在する。

米国人ならば、フロリダ州にバケーションハウスを借りて数か月ほど滞在する。日本人のシニア夫婦の旅行は、長くても2週間ぐらいだろう。それも旅行会社が提供するパッケージ旅行。時間に追われ、現地の人たちとの触れ合いもない在り来たりの旅行になる場合が多い。

仕事を離れたシニアは老後を何で楽しませるのだろうか?

金融資産を守って増やし、自分では使わずの高齢者

60歳代の妻たちは、旦那たちと違ってお金について深刻に考えている。妻の年金は旦那より少ないし、それだけでは生活が出来ない金額だ。それ故、旦那が他界した時に一番困るのが妻たちだ。旦那にたくさんの金融資産があれば、相続だけで老後を優雅に暮らせる。

一般大衆家庭では、そんな相続が出来るほど資産を持っていない。旦那の財産相続だけでは老後の生活は苦しい。 家庭での大蔵省である主婦は旦那にできるだけ長く働いて収入を得てほしいと思っている。老後の生活費を楽にするには年金以外の収入が必須であるからだ。もし、旦那が他界すれば妻の生活費は年金だけである。

妻たちはこう考えて手を打っている!

日曜日の朝、1杯のドリップコーヒーで心に栄養を与える

週末はいつもドリップコーヒーを夫婦で飲んでいる。平日はインスタントコーヒーである。ドリップコーヒーとインスタントコーヒーの味の違いは確かにある。私はコーヒーマニアではないがコーヒーを飲む事が多い。仕事場としてスターバックスを使っているのでコーヒーは仕事の友になっている。

週末は家内よりも早く起きてドリップコーヒーを作り、静かな自宅の中でコーヒーの匂いを嗅ぎながら心に静寂という栄養を与えている。何も考えることなく、コーヒーの香りだけを楽しむ時間は一瞬だが邪念を頭から追い払ってくれる。

日曜日の朝、1杯のドリップコーヒーは精神的な栄養を与えてくれる。私と同じようなことをしているシニアがいると思う。平日の心の疲れを癒やすために。

シニアが喜ぶ4つのこと

若い人たちはシニアの心理やニーズを理解することが難しい。私、67歳でも70歳代、80歳代のシニアのことを心理的に理解できない場合が多い。でも、この4つことをシニアにしてあげれば、シニアは喜ぶ。

67歳のシニア男性として生活の中で失われていることは若者たちとの触れ合いである。世代が違う人達との交流が会社を卒業すると突然なくなる。若い世代の人からの情報が途切れてしまう。今、若者たちの間で何が流行しているのか、わからなくなる。

世代を超えた交流はシニアに新鮮な感覚を与えてくれる。特に若い女性との接点がゼロになる。若い女性を遠くから眺めるだけで会話もできない。老人ホームに入居している96歳の義父がこんな話をしてくれた。週に2回、お風呂に入るとき、若い女性介護士が体を洗ってくれると言う。その時が一番楽しいと言う。

彼にとって若い女性との触れ合いがお喋りをしながら体を洗われるときしか無い。老人ホームの入居者は平均年齢が80歳以上。20歳代、30歳代の若者は介護士になる。自分で動ける範囲が老人ホーム内だけであるからだ。

シニアの在宅ワークで注意すべき3つのこと

4月から5月末まで在宅ワークをしていた。新型コロナウイルス対策でいつもの仕事場である横浜駅近くのスターバックスに行けないでいた。おかげで生活のリズムが狂った。それがコロナ太りという結果をもたらした。自宅で仕事をすると自分を甘やかしてしまう。

在宅ワークは色々な問題を味あわせてくれる。今まで自宅で仕事をしたことがなかった私。一番のクレームは妻からである。3食昼寝付きの生活が妻の城である自宅で始まったからだ。妻は今まで一人で自由な時間を自宅で過ごしていた。妻にしてみれば、自分のパーソナルタイムを私の存在で潰しているという感じである。

今回はコロナ禍の結果であるので家内もどうしようもなく我慢していた。私も慣れない在宅ワークで仕事の効率が悪くなった。自宅という限定した場所でパソコンに向かって仕事をするには時々気分転換をする必要がある。ずっと椅子に座り続けると健康に悪い。体を意識して動かさないと体調を悪くするし、足腰の筋肉を衰えさせる。

ニアの在宅ワークでは3つのことを注意すべきではと思っている。

生前にお気に入りの骨つぼを購入するシニア層が増加している

手元供養が高齢化に従って増えている。それに追従して生前にお気に入りの骨つぼを購入するシニアも増えている。購入者の年齢が70歳前後だという。70歳近くになると自分の寿命が短いという事を強く意識してくるのだろうか。

62歳の私には、まだ、その感覚が無い。

自分が他界した後の事を自分は気にするのだろうか。この世界から消えて無くなる=生きている人の意識から消えていく。どんなに気に入った骨ツボに入れられても人々の記憶から消えていけば意味がない。生前の自己満足でしかないのではないか。そんな思いがある。

未知なる世界への旅たち

老人ホーム入居後の親の様子:肉体、精神状態、健康

義両親(妻の両親)が夫婦そろって同じ老人ホームに入居して義父は2年、義母は1年が経過した。二人とも老人ホームの環境に慣れたようだ。月に1度面会をしている。自宅に近い場所にある老人ホームであるので時々頼まれる買い物を自動車で届けることが月に2回ほどある。老人ホームに代行させると余分なお金が発生するので私たち夫婦がやっている。

老人ホームに義両親が入居してくれたおかげで私たち夫婦の介護に掛ける時間と労力が80%ぐらい軽減した。今やっていることは(1)面会と(2)買い物代行だけである。自宅には老人ホームのスタッフから義両親のやらかした出来事を逐次知らせてくれる。その度にこちらで判断したり、施設にお願いしたりする手間が発生する。

老人ホームは介護で一番大変な見守り、生活活動のお世話、食事、入浴、健康、掃除洗濯などをやってくれる。その分高額な費用が発生するが、義両親のお金で賄っている。義父は96歳、義母は93歳。二人とも100歳まで生きられるか定かでないが、既に平均寿命を超えている。

義両親の様子は面会時である程度わかる。顔色、会話、体力、健康状態、精神状態などは対面すれば読み取れる。時間の経過で驚くような事が起きる。それが私たち夫婦の不安材料になる。

70歳代シニアは残りの人生に何を求めるのか?

NPO団体のグループ定例会に参加したときに感じた事が有る。平均年齢72歳のNPO団体のメンバーは、何を求めてこのNPO団体に参画してくるのだろうか。220名以上のメンバー全員がアクティブにNPO団体の活動に参加していないが、一部のメンバーはこの団体の活動を生き甲斐にしている。

当時62歳の私は、他のメンバーから「若いねぇ~!」と言われるぐらいだ。60歳代の私と70歳代のメンバーでは、見た目も体の動きも相当違いがある。

だが、この団体での活動を生き甲斐にしている70歳代の人たちは、どう見ても現役の会社員のようだ。見ていて羨ましい。私は、本業があるのでNPO団体の活動には深く入れない。定例会に参加して自分で取れない社会の情報を得ているくらいだ。

70歳を過ぎたらどこに自分の居場所を置くか、NPO団体を探して顔を出して違った世界を味わうのも手である。

老後の生活を充実させる一つの方法とは?

老いて来ると「希望」という言葉が心から消えて行く感じがする。希望がある生活をしていれば、毎日の生活に張り合いが出てくる。今の生活に張り合いがある方ならば、きっと、自分の人生に希望が見えているのだろう。

一つでも良いから希望を見つけられれば、その希望を実現するための一歩が踏み出せる。

希望は人生の目標になる。足が筋力の衰えで不自由になっている老人ならば、足の力を元に戻したいという希望があるはずだ。足の力を元に戻したいという一つの希望を実現させるために意識を集中させ、今の生活をその目標に向けて変えて行くと毎日の生活に張りが出始める。

人生に一つでも生きる目標があれば、老後の生活に変化が生まれる。

65歳のシニアは起業、再就職のどちらを選ぶべきか?

仕事をしない老後の生活設計が出来ている65歳のシニアならば、起業、再就職のどちらを選択しても心配する必要はない。仕事をしない老後の生活は、日中の時間の使い方が問題になる。

暇な時間を如何にして楽しめる時間に変えるかである。

仕事をしていれば、そんな事を心配する必要はない。多くの65歳シニアは、今までの生活ルーチンを変えない再就職を求める。または、起業を検討する。再就職先は簡単には見つからない。簡単に見つけられるのは、アルバイトやパートの仕事である。

アルバイトやパートの仕事も70歳を過ぎると年齢制限が出てくる。シニア向けの仕事は、3K(きつい、汚い、危険)の仕事が多くなる。それが嫌で起業に挑戦するシニアもいる。

起業、再就職のどちらを選ぶにしても10年先の75歳の生活をどうするかをイメージしておくと良い。10年先の自分の生活はどんなライフスタイルになっているかをイメージできれば、それを達成するための準備が今から出来る。

毎日10分間、庭でできる簡単な足の筋トレ運動:シニア向け

義父宅にある庭が草で占領されていた。この30年近く草取りはやっていなかったので草取りを10分ほどやった。草取りをやって分かったことは、足の筋トレになるという事であった。

自宅に庭がある人は、足の筋トレ目的で草取りを毎日10分ぐらいやるべきだ。その時のやり方がある。しゃがんではだめだ。必ず、中腰の姿勢で立ちながら草取りをする。この姿勢で草取りをすると必ずひざ上の筋肉を使う。太もも全体の筋肉も強化される。

唯一の欠点は、中腰の姿勢を長くしていると腰が痛くなることである!

ドライブ旅行をするならば、高速道路を使わないで一般道を走るべし

昨夜、愛知県の明治村から横浜まで高速道路を使って帰ってきた。久々に平日の高速道路を自動車で走ったら、意外な状況に出くわした。高速道路が大型トラックに占領されている。なぜ、こんなに多くの大型トラックが高速道路を占有しているのか。

もう一つの発見は、大型トラックの速度だ。80キロで走行しているのだ。それ以上の速度を出してこないため左側車線を列を成して走っていた。いつも、80キロで高速道路を走っている私であるのでどうしても大型トラックに挟まれてしまう。高速道路はサービスエリアぐらいしかゆっくり出来ない。

愛知県の明治村から神奈川県の横浜まで高速道路を走らなかった。途中下車して一般道をドライブした。その理由はローカル色豊かな食産物が販売されている「道の駅」に立ち寄りたかったからだ。時間に追われていないドライブ旅行であるので帰路の度はその日の気分で予定を決められる。

一般道をドライブするのは時間がかかるが窓から見えるローカルな風景を楽しめる。面白そうな場所を見つけては立ち寄れる。高速道路ではこれが出来ない。

老後にお金を使うタイミングはいつなのか?

70歳過ぎになってもお金を貯めている老人たちが多い。本当にそれで良いのだろうか。将来の老後不安がトリガーになってお金を貯めているのだろうが、お金は使うタイミングを逸するとまったく意味をなさなくなる!

老人になるとお金を使う機会が少なくなる現実があるが、使いたいと思ったときに思いっきり自己満足が行く使い方をすべきではないか。

70歳を過ぎれば、いつ神様からのお呼びがかかっても不思議ではない。その時、多額のお金があると使い切れないで残り、相続税で国に持っていかれる。 または、子供や孫に相続される。本来は、自分のために使うはずであったお金がだ。